春のうららかさを感じよう

【歴史】原稿から削られた6文字とは

今年も行われた広島の平和記念式典。その会場で流れた動画メッセージに登場した被爆者の中に、式典の1週間前に93歳で息を引き取った、韓国原爆被害者対策特別委員会委員長の李鍾根さんがいました。

平和式典の会場で流れた李さんのメッセージ映像

広島市の求めに応じて、被爆者としての思いを述べたメッセージ映像を収録しましたが、用意していた原稿の一部を削るよう市の担当者に求められたのです。その文字とは「切り捨てられ」の6文字。

鉄道員だったころの李さん

李鍾根さんは在日韓国人として、そして被爆者として。自らの被爆体験を記者にこう語っています。

子供の頃は小学校の通学路で「朝鮮人!」と子供たちから罵声を浴びた。

キムチが入った弁当を「くさい」と担任の先生に窓から放り投げられた。

近所のおじさんに声をかけられ、小便をかけられた。そして、原爆…。

やけどの傷口にわいたウジを、母は一つ一つ箸でつまんで取り除きながら、「パルリチュゴラ」と涙を流した。

焼け野原となった広島では薬も満足に手に入らない。痛みを鎮めることもできない。息子の姿を哀れに思った母は、思わずそんな言葉を口にした。

懸命の看護の甲斐あって4ヶ月後に職場復帰すると、被爆の事実を知る同僚はよそよそしくなり、近づいてこなくなっていた…。

今年の1月、検査でがんが見つかった李鍾根さんは、広島市からメッセージ映像の収録を依頼された時も、二つ返事で引き受けました。規定の「45秒以内(200文字程度)」の原稿を6月中旬、広島市の担当部署に届けました。

カットするよう依頼してきた広島市からのファクス

すると数日後に市の担当者から、「切り捨てられ」の部分に二重線を引き、「カットしていただけないでしょうか」と求めるファクスが届きます。

平和公園内のカフェで語る李さん2022年3月

「自分の口で全文読めるなら…」李さんは「削れ」という市の要求を受け入れました。それは平和祈念式典前日の韓国人原爆犠牲者慰霊祭に出席し、削られた部分も含めて自分の口で訴えることで挽回できると、収録の時点で思ったからでした。

2022年7月31日、通夜の会場で

でもその後、式典の1週間前に93歳で息を引き取り、李鍾根さんは天国に旅立ちました。

被爆から77年の広島平和記念式典

8月6日に平和公園で流されたメッセージ動画で、李さんはこう語りかけています。

「生き残った私が被爆者として証言してきたのは、彼らの存在を伝えるためでもあります」
「平和は人間が作り出すものです。みんなで声を上げなければ、実現できません」
「核兵器も差別もない世界を、子どもたちに。世界中の皆さんにとって、今日一日が、やさしい一日でありますように」

原爆投下後の広島

※この記事は広島在住のフリーランス記者・宮崎園子さんの記事を一部修正しました。

1 COMMENT

被ばく何世まで?💦

まだこんなことしてるの?
てめぇ~らも、色々なことの差別を受けてきているのに、まだ、こんなことをするか?
本当のことを正直に伝える習慣をつけた方が良いのに~💦
政治家や芸能人の言い訳を見てると、いつも思うよ💦 最初から正直に言えば炎上しないのに~👀🤦‍♂️ 隠そうとするから、大炎上しちゃうんだよね~🔥

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