趙根在(1933~1997年)さんは、1960年代から1980年代にかけて、国内各地のハンセン病療養所を訪ね、隔離政策によって収容された入所者、とりわけ在日朝鮮人に焦点を当てながら、病や民族の複層的な差別のなかで生き続ける人間の存在に迫る写真を撮り続けました。

愛知県知多郡に生まれた趙さんは、家庭の事情で中学3年生のときに亜炭鉱山で炭鉱夫として働きはじめます。地底の闇のなかで危険と隣り合わせの仕事をする日々は、地上の光への強い脱出願望へとつながっていきました。やがて在日朝鮮歌舞団の照明係となって全国公演に帯同し、旅の途中で熊本の国立療養所菊池恵楓園を訪れたことを機に、ハンセン病に関心を寄せるようになります。

1961年の初夏、東京の国立療養所多磨全生園を訪ねて、在日朝鮮人の入所者に出会います。「人間同士として向きあえ語りあえる写真」を撮りたいと、以来約20年間、北は青森の松丘保養園から南は鹿児島の星塚敬愛園まで、各地の療養所に足を運び、2万点におよぶ写真を撮影しました。
感染、発症の可能性が低い病気であるにもかかわらず根強い差別の残る時代に、患者や回復者と分け隔てなく接する姿勢は深い信頼を寄せられ、その写真は類例のない生活記録となってあらわれました。

文芸運動の盛んな療養所において、詩人たちは出版物に趙さんの写真を掲載することを望みました。とりわけ、1981年に刊行された谺雄二さんとの共作『ライは長い旅だから』は、社会的にも大きな反響を呼びました。
その仕事に注目した記録作家の上野英信さんは、筑豊の炭鉱写真集の編集にあたり、趙さんに参加を依頼しています。1984年から1986年にかけて全10巻が刊行された『写真万葉録・筑豊』には、上野さんとともに趙さんの名も監修に連ねています。

趙さんにとっては、差別のなかで生き続ける人たちの姿を記録することは、自分自身も含めた人間の存在の根源的な意味を獲得する行為であったのでしょう。

企画展では、国立ハンセン病資料館の協力を得て、趙根在さんの残した多様な仕事を、未公開写真を含めた209点の写真を紹介しています。

朝日新聞埼玉版にも掲載されていました(3/6日朝刊)。ぜひ時間があったらもう一つの在日同胞の歴史をご覧になってください。
「趙根在写真展 地底の闇、地上の光」 ー 炭鉱、朝鮮人、ハンセン病 ー2023年2月4日(土)~5月7日(日)
企画展情報はこちらから

誠実で地道な活動をされたんですね。尊敬します。
炭鉱で強制労働→ ハンセン病→ 差別~💦
この構図なのかな?💦👀
貴重な資料ですね~👍 いずれ、これも名誉回復の動きが出ると良いですね~
機会があれば、しっかりと直視して、脳裏に刻んでおきます😢
丸木美術館…。
企画展が終わらないうちに必ず行ってみます。
ありがとう。