春のうららかさを感じよう

富士山 2

正午過ぎにバスは予定通り富士山五合目吉田登山口に到着した。バスを降りると、そこは別世界であった。陽ざしはきついのに地熱の蒸し返しや熱風を感じることもなく、日陰ではサラサラの薫風を感じさせ、下界の暑熱がウソみたいだ。

ヨーロッパアルプスの山小屋を模した大きな建物の中は観光客、登山客でごった返していた。食堂は既に順番待ちの長い行列が伸びている。列に並ぶ気になれず、私と同伴したがらない娘の気配を感じて、別々に昼食を済ませることにした。

私は惣菜パン2個とコーヒーを仕入れ、見晴らしのきく場所を探してリュックから100均座布団を取り出しあぐらをかいた。

美味くもなく観光地料金のパンと水っぽいコーヒーに不快感を覚えたが、それを忘れさせるほどの展望が眼下に広がっている。河口湖に富士吉田市街地、富士急ハイランドや山中湖も手に取るようだ。それらを取り囲んでいる山々に目を凝らし、私は三つ峠を捜した。中学生の時に仲間と初めて夜間登山に挑戦し、明け方に見た富士山の雄姿、その姿を拝みたくて三つ峠には何度登ったことだろう。その度にいつかはあの山に登ってみるんだと願じていたその日が遂に来たのだ。その実感が私の高揚感をいやが上にも高めている。「あれが三つ峠だ!」と特定できなかったが、タバコは非常にうまかった。

集合時間20分前に荷物をまとめ、トイレに向かったが順番待ちの渋滞だ。並んで待つのが嫌いでもこればかりは避けて通れない。便意がなくても備えておかなければという強迫観念が働いていた。10分ほど待たされ、100円の使用料を払い汗がにじむほどイキんで済ませたのだが、ホッと一息つく間もなくダッシュする羽目になり、朝の教訓を苦い思いでかみしめることになってしまった。

集合場所で紹介された登山ガイドは痩せ身で、顔立ちも体もヒョロ長い印象の老人だった。60代半ばで、ガイドの専門家ではなく定年後に応募し採用されている風だった。何度もこの役をこなした経験者らしく、登山行程、注意点の説明が事務的で簡略化されていた。張りがなくボソボソと話す声に参加者たちは何度となくうなづいているが、面倒くさそうな感じを受けたのは私だけだろうか。大学生8人のグループ、おばさん3人組、中高生の子供連れの家族が3組、おじさんは私だけのツアー客22名。初心者向けの内容で登行時間も休憩時間も余裕を持たせた行程だ。

午後2時、定刻どおり出発。ガイドを先頭にツアーの隊列がゾロゾロ歩き始める。私と娘は最後尾に位置を取り隊列の歩調に合わせて付かず離れずついて行く。コンクリートの平坦な道が長々と続き、それが切れるとダラダラ緩やかな上り坂になっていく。他の登山者たちがサッサと追い抜いてゆくが、隊のペースは変わらない。単調な流れで汗をかくことも息が上がることもなく六合目に到着、休憩に入る。七合目に向かう山道は樹林帯を抜け、溶岩質の岩石と火山灰が推積した山肌の殺風景な斜面を横切るようにジグザグに道が切られている。所々水枯れ沢や斜面が削られた危険個所にはロープが張られ落石注意の札が目に付く。ゆっくり進んでいるものの前が詰まって立ち止まっては進むを繰り返す。七合目まですんなり登り疲れも感じていない。

富士登山は分かりやすい。六合目も七合目もその到達を山小屋群が知らせてくれるからだ。岩盤の斜面にへばり付いているという表現がピッタリで、その前面は絶好の景観ポイントだ。富士山が他の山々と連なりを持たない孤高の山であること、それゆえに、これだけの視界の広がりを持ち俯瞰できる山であることを実感しつつ吸うタバコは格別だった。

八合目に向かう山道は狭く、岩場の急登がクネクネと続く。さっきまでおしゃべりを楽しんでいたオバサングループも無言になった。登山道の上にも下にも列ができ、登っては立ち止まり、また登るの繰り返し。その分、息が上がることはないが、だるい感じはする。空気が薄いせいなのか。七合目での休息時、小学生らしき男の子に酸素缶を含ませていた父親の姿を思い起こす。陽ざしはだいぶ傾いていた。寒さを感じヤッケを着込み手袋をはめる。それは趣味の渓流釣りで使いこなしているメーカー品だ。娘もつられるようにアノラックをかぶり軍手をはめる。私は登山靴、娘は普通のスニーカーだ。しかし先を行く娘の足取りは軽やかだ。

「大丈夫?」
「だるくない?」
「寒くない?」

そんな気遣いに「全然、平気!」のひと言。娘の素っ気ない返事は、それが父親へとしての体裁であり、本音は自分に問いかけていることを見透かしているようだ。

澄みきった青空が質感をおびた濃い青に変わり東の空に爪のような月が浮いていた。だるさと共に足が重たく感じた頃合いで私たちは八合目にたどり着いた。ここの山小屋で夕食、仮眠を取り、零時半に山頂を目ざす予定である。

私はさっそく一服しようとしたのだが、ライターに火が付かなかった。七合目での休息時に火付きが悪くイラついたのだが、ここでは全然ダメだ。仕方なく山小屋の売店に問い合わせると「空気が薄くて電子着火ライターは使えないよ」と言われ、ライター石を擦って着火する旧式ライターを渡された。100均では3本セットで売っているライターがここでは1本300円である。背に腹は変えられず、仕方なく買って一服したが美味くなかった。

夕食は使い捨ての配膳容器のヘコミに白米、湯煎ハンバーグ、カレー、漬物が収められている代物だ。缶ビールでも飲もうと思ったが、800円なので止めた。歩荷(ぼっか)さんの荷揚げによるものだから仕方ないと思いつつも釈然としなかった。

夕食が済む頃合でガイドさんが立ちあがり今後の確認をボソボソしゃべりだす。相変わらず声が小さく事務的で面倒くさそうに感じた。

話し終えたところで私は手を上げて質問した。「リュックとか荷物とかをこちらに預けて下山時に引き取る、そういうことができますか?」

私は登頂後、再び同じ道を下ってくるものと思っていて、それまでの負担を考え発言したのだが…

「持ち物はすべて身につけて登ってください。そんなこと常識ですよ!」
何が気に障ったのかガイドの声はかん高く、最後のほうは早口で感情がこもっていた。

上から目線と言うか(そんな常識もわきまえないで富士山に登るの?)みたいなあざけりを受けたみたいで、思わずカッとなった。 

「私は初めて富士山に登る者で要領を得ないんですけど… アナタ、その言い方はないでしょう」

なるべく穏やかに言葉を繋げようと努力したつもりだが、吹き上がる感情を抑え切れなかったのだろう。ガイドは眉をしかめ険しい視線を私に投げかけてくる。私はその視線を真っ向から受け止め睨み返していたようだ。しかし、凍りついたような沈黙に気付き、ハッとして視線をはずした。隣にいる娘に目を向けるとジッとうつむいている。(アッパ!もう、いいかげんにしてよ)と怒っているようだ。

どうもいけない。やたら自尊心が強すぎるのか、職場でも上から目線やパワハラを感じると我慢しきれずケンカ越しで反発したり、家庭でも夫、父の沽券に関わる言葉に逆上し家族を戸惑わせ、呆れさせてしまったことが少なくない。その都度自分のそんな性分を後悔しながら反省するのだが、相も変わらずある瞬間、キレてしまうのだ。

「とにかく零時半出発。時間厳守でお願いします」

シラけた場の雰囲気に決着をつけるようにガイドは思いのほかハキハキとした物言いで締めくくった。

(午後7時就寝、午前零時起床…)

私は心の中で同じ言葉をうわ言のように繰り返し唱えながら気持ちを必死に落ち着かせていた。