春のうららかさを感じよう

猪飼野ー追憶の1960年代⑪

子供の頃、中川小学校横の空き地で、よくソフトボールをした。大阪市交通局の所有の空き地で、ソフトボールをさせないために高さ1~2メートルの杭をあちこちに立ててあった。

空き地の隣には養鶏場があって、ボールが入ると絶対返してくれなかった。もちろん貴重なボールなので、中に入って3つ、4つボールを拾ってくる者もいたし、ついでに玉子を盗んでくる「猛者」もいた。

玉子と言えば当時は高価なもので、お好み焼き屋に行っても玉子は置いてなかった。玉子入りのお好み焼きは家から卵を持って行って作ってもらったのである。

友達とお好み焼きに行っても「玉子一個の貧富の差」が現れたものであった。

2 COMMENTS

固茹で卵が好きだな〜

同級生にも居ました。もんじゃ食べに行くのに、カバンの中に、卵10個🥚も持って行くツワモノが💦

ezk

私は一つ下の世代なんですが、わかりますわかります。
小学校に入る前だったかな。住んでいた市営団地からバス乗って買い物に行き、青い半透明のガラスの引き戸を引いてたまご屋さんに行った記憶があります。
祖母が昔結核だったときにたまごの入手が大変だったなんて話も思い出しました。
いつも素晴らしい写真ですよね。このシリーズのファンです。

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