ハンメは数年前から、自分の墓を作り死ぬ準備をしていた。私は長い間、病院の浴衣の腰紐に縫いこまれたお金は、混乱の世を生き抜いてきた朝鮮女の知恵だと思っていたが、それはウリナラの文化であり風習であった。
ウリナラでは、遺族が紙に書いたニセのお金を棺おけに入れ、あの世で万が一のときにそれを使うように持たせるのだ。
しかし、日本生まれの母の兄姉弟たちはそんな習慣を知らない。むしろ、そういう朝鮮の習慣を劣ったものとさえ思っていた。
ハンメは、最後は朝鮮人として死にたかったのだろう。そして一人ベッドの上で、浴衣の腰紐に一枚、一枚、千円札を縫いこんだのだろう。針の中に糸を通すことだって大変だったハンメは、どんな思いで千円札を縫いつけていたんだろうか。
日本のあちらこちらでこの様な時代を過ごしたんですね。そして今がある。忘れてはいけないんだな。
私のハンメはとても怖い存在でしたが、もっと話しを聞くべきだった。後悔先に立たず。
麻のブラウスとプリーツスカートの二枚目の写真を見ていると…
ハンメ(ウェハンメ)を思い出して朝から涙が溢れてくる。
私のオモニを含めた6人の子供を一人で育てたハンメの手は、リウマチで手の指が曲がってまっすぐに伸びなかった。
遊びに行くとその手で必ずりんごを剥いてくれた。
「りんごを食べていれば病気知らずだよ」と言って…
ずっと一人で誰の世話にもならないと気丈に人生を終えたハンメの生き方に学ぶことが、いっぱいある。
昨日偶然、娘とハンメの話をした。
ひ孫にあたる娘がハンメのりんごのことを覚えている。と言っていた。まだ3歳だったのに…(なんか嬉しかった)
いつか天国で再会したときに叱られないように(笑)私もちゃんと生きないとね。と思いました。
私の親戚で、金もうけをしたアボジの棺の中に、3000万の現ナマを入れようとして、他の親戚にとがめられていたのを見たことがある💦 焼いちゃったらもったいないもんね💦
私のオモニは、「タラニ」と言うあの世で使えるお金を、墓の前で焼くことを習慣にしてました。紙に朱で何かを書いたお金みたいなものを焼いて、焼けた灰が燃え上がって、空に飛んでいくと、天に届くと喜んでいました😍
いろんな習慣があるもんですね~👀