春のうららかさを感じよう

写真で見る在日⑯-在日コリアンとパチンコ業

1920年代から日本に登場し、第二次世界大戦中に姿を消したパチンコが復活するのは1946年頃。在日が参入したのは1947年頃といわれている。

乱立するパチンコ店
パチンコ店が乱立する

1954年に連発式が禁止となった一時期、パチンコブームが去り、5万店あったパチンコ店は9000店にまで減った。

景品交換所
パチンコホールの様子

日本人業者は転廃業することができたが、民族差別を受け行き場のない在日同胞は、歯を食いしばって続けるほかなかった。

休日に友人とともに(1960年頃 青森)

その結果、業界における在日の比率は高まった。パチンコは今日では在日の基幹産業の一つになったが、そこには数々の苦難を乗り越えて、これを営んできた在日コリアンの努力の跡が滲んでいる。

1960年代のパチンコ台
当時の玉替器

2 COMMENTS

ぱ~ ちんこ

子供の頃、忍び込んで落ちた球を拾って遊んでいた面影がありますね~😊
私のアボジも、一時期、桜木町と赤羽でパチンコを営んでいましたが、色々な影響で経営を断念しました~😢 続けていてくれれば、今頃私も、ベンツにロレックスだったかな~🤷‍♂️
そんな事どうでも良いけど、ここ最近のパチンコは、とても厳しくなりましたね~
頑張れパチンコ~👍 カジノなんかに負けるな~

人生を楽しむ

これらの資料を、今ここで目に出来ることが凄い事だと、いつも頭が下がります。
親から聞いて来た事を写真や文章で見れる。この時代を生きた人たちは皆んな歯を食いしばって必死になって生き抜いて来たんですね。そのお蔭で私たちの生活は向上し、日本の地で周りの日本の人たちに引けを取らず肩を並べて生活ができる。そんな時代に生きている私のできることは人生を楽しむこと。これからも素晴らしいものを沢山見て、聴いて、感じて、楽しんでいる姿を子供たちに見せて行きたい。

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