春のうららかさを感じよう

写真で見る在日⑤ー解放前のくらし

私たちは日本に渡ってからも朝鮮での生活や伝統をできるだけ生かすよう工夫をこらしていた。なじめない日本式の作法や習俗ではなく、故郷での生活様式を持ち込んだのはむしろ自然なことであった。

東京豊島区日之出町(1930年代)
東京港区芝浦月見町(1936年)

特に女性たちは民族服であるチマチョゴリを好み、故郷で食べていた料理を作った。日本人は朝鮮人になかなか家を貸そうとしなかったので、家も自分たちで建てることが多かった。

東京平塚町の朝鮮食堂1
東京平塚町の朝鮮食堂2

日本社会の差別と偏見から互いを助け合うために次第に一ヶ所にまとまり、やがて集住地区(いわゆる朝鮮部落)が形成されてきた。しかし、その大半は水道・下水・電気などの設備が無く、不便な生活を余儀なくされた。

神戸市六間道東端の朝鮮市場(1938年)

トイレも地区全体で1、2ヵ所だけしかなく、衛生的にも問題とされた。けれどもそこには唐辛子をはじめとした朝鮮料理の食や朝鮮服地、朝鮮食堂などの店があり、仕事の斡旋をしてもらうこともできた。誰はばかることなく朝鮮語で話すことができる集住地区は、日本の中で唯一心の休まる場所であったといえる。

東京太平町の八百屋(1920年代)

同郷会や親睦会などもでき、労働・民族運動の場ともなった。日本における厳しい環境の中で、故郷である朝鮮の農村でのくらしから受け継いだ民族的な伝統を守りながら生活していたのが、在日朝鮮人の集住地区だった。

1930年代の大阪朝鮮市場
大阪市猪飼野商店街の雑踏(1936年11月)

3 COMMENTS

男はつらいよ

昭和っていいね👍
朝鮮人ってイイネ🙆‍♂️
朝鮮学校って良いね😊
28期同級生って最高😭

猪飼の街

いやぁ~ たくましい~👍
わが民族の異国の地での逆襲だね~🤔
写真からも伝わって来るけど、いつの時代も、女は強い~たくましい~ オンマぁ
5枚目の女性、私の近所に似た人いました~😊 タバコはぷかぷか~ タッペギがぶがぶ~ でも、民謡を歌わしたら、天下一品~😘 豪快なオモニでしたね~

負けるな在日

一世のアボジ・オモニたちの逞しさよ。二世・三世も頑張らないと…。

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