春のうららかさを感じよう

鄭歖「金剛内山」と「門岩観日出」

当時、張烔洙という若い古物商がいた。地方の名門両班を訪ね歩き、古書と書画を買っては、仲買人や収蔵家に売る仕事を始めたばかりの青年であった。日本の植民地になり地方の両班たちは、ソウルに上がって官職に就くことも無くなったので、生活に困った家では沢山の古書と書物をわずかなお金で交換しても、噂だけはしてくれるなと頼むだけで、元手がさほどなくても比較的簡単に手に入れることができた。

ある日、親日家である宋秉畯の邸宅で、息子の宋在九に夕食を誘われ、一晩泊ることになった。床に就く前に用を足そうと便所に行くと、下僕の一人が見慣れない紙の束を持って火を煽いでいた。紙の束は黄緑の絹で製本した本であった。

その本を見て張烔洙は驚き、李在九に画帖が火にくべられて燃えていたかもしれなかったと話したが、李在九はその画帖の価値もわからずきょとんとしただけで「欲しいなら薪代でも置いていきなさいよ」と言ったそうだ。

張烔洙が当時20円で仕入れたこの画帖は翌日、全鎣弼のもとへと来るのだが、20円で仕入れた画帖を千五百円の値で購入するのだった。この縁があって若き仲介人の張烔洙は良い書画が見つかれば、真っ先に全鎣弼に連絡したことは言うまでもない。

鄭歖「金剛内山」絹地彩色 32.5.×49.5cm

鄭歖が描いたとされる画帖には、金剛山や東海岸の名勝地を描いた真景山水画が描かれている。

鄭歖「門岩観日出」絹地彩色 33.0.×25.5cm

鄭歖は36歳と72歳の2回にわたって金剛山を訪ねている。この「海岳伝神帖」は鄭歖が72歳の時の晩年作と言われ、絵が21点、書が21点、合わせて42点にも上る画帖である。

1 COMMENT

見返り美人~

一瞬~👀 オレでも描けるんじゃない~ なんて思ったけど~
実際は奥が深いんだよね~😊
でも、日本の昔の「雪舟」や「北斎」なんかの絵と、つくづく似てると思うよね~
ルーツは一緒なんだよねぇ~👀 
だから~ 日朝・日韓は、仲良くしなきゃいけないんだよなぁ~👍

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