春のうららかさを感じよう

サムスンの経営を再建した二代目ー李健熙

李秉喆の決断

1976年9月、李秉喆は胃ガンを宣告された。東京を訪れた時、慶応義塾大学病院で健康診断を受けたのである。

李秉喆は仕事の都合で韓国に帰らねばならなかったので、とりあえずソウルに戻り、親しい医者たちに意見を聞くと、結果は同じく胃ガンであった。李秉喆は東京のガン研病院で手術を受ける手続きを行ない、出発の前日、家族たちを自宅に呼び集めた。李秉喆も死を覚悟して、遺言を発表するため家族を呼び集めたのである。

「これからサムスンは健煕が引っ張っていく。」ー爆弾宣言であった。

健煕は日本での父の入院手続きのため、そこに居なかった。長男の孟煕と次男の昌煕はショックを受けたようだ。とくに長男は、いずれサムスンの会長は自分がなると信じていたからだ。しかし、また一方で、自分は次期会長になれないことも何となく感じていたらしい。

李秉喆は前々から三人の息子をつぶさに観察し、彼らの力量を計っていたのだ。彼は後継者を決めるに当って、次の三点を考えたようである。
 第一、サムスンの従業員は数十万を超えている。これを存続させることが、まず重要である。
 第二、仁徳と管理能力を持った経営者として、会社運営を指揮する能力があること。
 第三、本人の希望、資質、力量に応じて事業継承の範囲を決めること。

「長男の孟煕にグループ企業の一部の経営を任せてみた。しかし、半年足らずで、任せた会社はもちろん、グループ全体が混乱してしまった。そして自ら経営から手を引いた。 次男の昌煕は、…多くの人を統率し、複雑な大組織を管理するよりも、自分に適した会社を健全に経営したいというので、本人の意志を受け入れることにした。 三男の健煕は、早稲田大学を卒業し、アメリカの…大学へ留学して帰国してみると、サムスングループを受け継ぐ人がいないことに気づき、グループ経営の一線に徐々に参加するようになった。…わざわざ苦労の道を選ばず『中央日報』だけがんばってもらえればと思っていたが、李健煕本人がグループ経営をやりたいと言うなら、任せてもいいのではと思った。新たな発展の基盤になることを切に願いながら、私の後継者として三男の健煕を指名する。」

長幼の序を重視する韓国で、財閥の後継者を三男にするのは破格といえよう。

しかし李秉煕にとっては、サムスンという韓国最大の財閥を率いていく能力があるかどうかの方が重要だったのである。

1979年2月27日、李健煕は『中央日報』の理事からグループの副会長に昇進し、サムスン本館の28階にある李秉喆の隣の部屋に移った。

その日、李秉喆は彼を執務室に呼び、自ら筆にした「傾聴」という書を与えた。人の話に耳を傾けることこそ、大企業を率いる人間にとって重要だと強調したのだ。

父の強調と自らの納得によって、健煕は他人の話を最後まで聴く経営者となった。

彼は役員会や報告会議の時も、まず相手の意見や報告を聴くことに時間を割いた。しかし、一度話はじめると、綿密な事前調査にもとづき三、四時間は話しつづけることがある。彼は、しばしば自ら各界の専門家を招いて意見を聞き、さらに何度もなぜ、その事業を行うのかと自問するのだ。このようにして、彼はサムスングループを構成する主要企業である電子、紡織、合繊、製糖、保険などについて深く把握していったのである。

父の死

1987年11月19日、李秉喆はこの世を去った。78才であった。1938年、果物と乾物を扱う三星商会を始めてから1987年まで、傘下に37社を持つ大財閥に育てた経営者を失ったのだ。

李秉喆 葬礼式

彼が三万ウオンで始めた三星商会は、1987年には資本金6310億ウォン、輸出額11億2500万弗、売上高17兆4000億ウオン、経常利益2668億ウォン、従業員数16万595名を数える大財閥に成長し、そのバトンが、ついに李健煕に渡されたのである。

李秉喆と健煕は異なる人格であるが、共通する点も多い。まず、その研究熱である。李秉喆の研究方法は、効率的かつ緻密であった。研究熱では健煕も引けを取らない。彼は研究を趣味とする人間だ。

しかし、李秉喆には強いカリスマ性と現実を察知する能力があったとすれば、李健煕は未来を見抜く能力、今世紀の品質重視の時代を見通す能力があるとされている。サムスン経営の引き継ぎは、はからずも時代の流れを先取りしたものとなったと言えよう。

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2 COMMENTS

名前はサムスン💕

へぇ~ 7人兄弟?👀💦 へぇ~ 学習院と早稲田?👀 へぇ~ 東洋放送?👀
へぇ~ 犬のブリーダー?👀 へぇ~ レスリング?👀
しらなんだ~💦
しかし、財閥のトップになる人は、考え方がしっかりしてるね~😊

故郷は釜山の李家

長かったけど根気よく読みました。
とても面白かったです。
成功者の並みならね観察力と行動力に感動の一言です。

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