梅雨明けから本格的な夏へ

【投稿】아버지어머니を語ろう!

あらためて両親を語ることなどないと思うので、思い出でも自慢でも何でも良いので、この際ブロブで아버지어머니を語ってみませんか?

私は末っ子で両親や兄弟に可愛がられて育ってきた記憶がたっぷりあるので、아버지어머니はもちろんのこと、兄弟も大好きです💓

私の아버지어머니は歳が11歳離れていて、아버지は私が30歳ころ72歳で亡くなった。軽度の脳梗塞を患って、その後遺症で脳が萎縮していく脳軟化症に苦しみ、3年ほどの後遺症生活を送り、어머니の献身的な介護のすえ、子どもたち全員に看取られながら幸せに旅立った。

私は末っ子と言うこともあり怒られたり手を上げられた記憶がほとんど無い。なので私は아버지が大好きでした。今でもすぐに会いたいです。

かたや어머니は、2年前に96歳まで人生を全うして大往生の末、天国に旅立った。最後の2年間はコロナ禍で施設生活を強いられたが、面会に行くといつもニコニコしながら楽しく会話ができるほど最後まで認知症にもならずに、最後は「頼むね!」と一言いいながら息を引き取った。

その「頼むね💓」には色々な意味が含まれていて、それからはこの言葉を胸の奥にしまいながら、しっかりと어머니の息子として生きて行こうと決心しました。

어머니は大往生でした。大好きでした。最近は「親ガチャ」とか親は選べないとか変な言葉もあるが、私は両親にはとても恵まれたと声高に自慢ができる。

もし来世に生まれ変われるならば、また아버지어머니の子供で生まれたいと真剣に願っている。

どうも、私の自慢話のような話になってしまったが、28の皆さんはいかがですか?是非ともお聞きしたいです👂

7 COMMENTS

アボジの歳を超えた。

私たちの世代の両親は力強かった。私もオモニは大好きでした。アボジは怖かった。家は豊かではなかったけど幼い頃、上野の博物館や美術館によく連れてってもらった。後にそれが大いに役立った。天国のオモニありがとね♪〜。

幼心

私のアボジは亡くなるまで自分勝手に生きました。それを幼い時から見て来た私はあのようには絶対ならないと誓いました。

アルコール中毒

普段のアボジは優しかったけど、お酒を飲むと豹変して、よくオモニを叱ってたね。手も出してた。
なので今でも酒乱や酒飲みをみると正直、幻滅します。

思い出の情景。服装から髪型までハッキリ思い浮かぶ

私が중고の帰宅時最寄りの地下鉄の階段を上ったところに、オモニが傘を2つ持って私を待っていてくれました。

家は、そこから10分程坂を登りきった先にあった。
突然の雨が降った日の事。
今でも、その日の情景を思い出し
ほっこりした気持ちになります❤️❤️❤️

男はつらいよ

😂投稿者の両親と俺らの両親も友達、아버지には苦労かけた暴力事件で浅草警察👮飲酒運転事故で下谷警察署に身元引き取りに来てもらい、でも아버지には一度も怒られた事がなく、でも58歳で癌で入院その後1年で亡くなり😂俺らのせいかなと反省어머니はいつも明るかった両親に会いたい😆

天国で会えるのを楽しみにしています🌈

アボジの思い出は、とにかく優しかったということ。土日のお休みの日は、家族で船橋ヘルスセンターへ行って帰りに錦糸町の駅ビルの地下にあった不二家でお子さまランチを食べるのが日課でした。小学校一年の時に交通事故で亡くなったけど…一生分の愛情をもらったと確信しています。笑
オモニは、料理が得意で何を作っても美味しかったなぁ~❣️幼稚園の頃までオモニ手作り洋服で育ちました。
オモニが亡くなった(中1)時は、弟と二人でどうしようって思ったけど…
自分の人生に悔いはないです。笑
アボジとオモニの娘で感謝していますよ。

思い出はたくさん💕

アボジは長男でわがまま放題。それなのに兄弟姉妹は誰一人アボジを非難すること無く、支えてるオモニを全力で気遣ってくれました。(書いていても泣けてくる🤭)オモニは日本人だったので、多分相当苦労をしただろうにそれを表に出すことは無く、キンチやスジのスープ等をハンメの見よう見まねで作ってくれ、チョゴリも上手に縫ってくれました。努力とプライドの人でした。😢

二人ともすでに亡くなっています。オモニにはもう少し長生きをして、苦労した分を楽しませてあげたかったです。
は~語っちゃった🤣

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