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申漢枰「慈母育児」

朝鮮時代、王の肖像画や国の行事、記録を残すための絵を描いていた官庁は「図画署」そして図画署の画家は「画員」と呼ばれていた。「美人図」や「風俗画帖」で知られる申潤福も画員の一人だ。申潤福はくつろいでいる両班や芸者の姿を描き、彼の作品は、今も多くの韓国人に愛されている。

さて、申潤福の父親も実は宮中画家として知られた申漢枰という人物だ。王の肖像画は「御真」と呼ばれ、最高の実力を持つ画員だけが描くことができたが、朝鮮王朝の歴史を記録した「正祖実録」によると、正祖は10年に一度、自分の肖像画を描き直すように命じ、この作業は申漢枰に任されたとされる。

申漢枰「慈母育児」23.5×31.0cm

この風俗画「慈母育児」は、申漢枰の最もよく知られた作品である。絵のサイズや中央にある折った跡から画帖の一部と見られ、専門家たちはこれを根拠に、申漢枰が風俗画だけの画帖を残した可能性があるとしている。

絵は背景を大胆に省略し、人物だけが登場する。絵に登場する母親と3人の子供は、表情や姿勢などが生き生きと描写されている。中央に座った母親は末っ子に乳を飲ませ、母親のそばには娘が静かに座っており、起きたばかりのように見える息子が目をこすっている姿も見える。

申漢枰には申潤福をはじめ二人の息子と一人の娘がいたことから、「慈母育児」に登場する人物は申漢枰の家族ではないかと意見もある。この推測が当たっているなら、目をこすりながら立っている男の子が息子の「申潤福」かもしれない。

30年以上、王宮の図画署で絵を描き続けた申漢枰は、朝鮮時代を代表する画家と一人だった。申漢枰は事物や状況の描写より彩色に気を配り、王の肖像画を描くときも彩色を任されたとされる。息子の申潤福の作品は洗練された色彩で有名だが、これも父親の申漢枰の絵が大きく影響しているとされる。

幼いころから父親の絵を見て育ったのだから申潤福という大家の誕生は当然の結果なのかも知れない。

2 COMMENTS

農民の遺伝子

へぇー、申潤福のアボジなんだ。
アボジも画家ならやっぱり才能があったんだねーと、一人納得

風俗?💕

絵ごころ無いけど~ 💦  もう少しアップで観たい👀
エッチな感想で、しつれ~しました💦

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