10月は秋の気配

映画「マディソン郡の橋」

30代に観た時にはあまり良いとは思えませんでした。しかし、歳を重ねて改めて観ると良い映画でした。

名ゼリフは多々ありますが、私がひとつだけ選ぶとするならこれ。「多くの人はその経験どころかその存在も知らない関係だ。」
その存在を見つけられても果たして幸せなのだろうか。

(イェーツ)

11 COMMENTS

もう泣かない

若い頃「マディソン郡の橋」を小説で読んで、涙が止まらなかったことを思い出します。また、読んでみようかな…

イェーツ

もう泣かないさん。
本の方は「マディソン郡の橋」の後日譚として「マディソン郡の橋 終楽章」も出ているようです。
本も感動できるのですね。
私は本を読んでいませんので両者とも今度読んでみます。
有り難う。

もう泣かない

私は先に本を読んで、その後TVで映画も見ました。ほとんどの場合がそうだと思いますが、本が先だと映画はもの足りません。大分ときが過ぎていて、はっきりしませんが、この本で男性の感情と言うものを学べた記憶があります。
もう一度読んでみます。高尾山で語り合えたら嬉しいです(^^)

イェーツ

では、私も女性の感情と言うものを学んでみます(^^)。

濃紺のコート

この添付された動画を観ているだけで胸がキュンと熱くなり込み上げてくるものがあります。当時 映画館でこの映画を観たときはある意味衝撃的でした。切なく悲しい大人の映画だと思いました。そして今あらためてこの映画を観て感じることは・・・自分の心のなかにそっとしまっておきます。(笑)
そういえば ラストの雨に濡れたイーストウットのことを「彼女に選ばれなかった未来の亡霊」と言われていたことを思い出しました。
未来の亡霊…いるかもしれませんね。笑
投稿者さんの心に残った「多くの人はその経験どころかその存在も知らない関係だ。」というセリフ。
私は、存在を知ったことだけでも幸せだったと思います。そして…そう信じたいです。
偶然でも必然でも…その時巡り会えたすべての人に感謝しながら これからも生きていきたいですね。
素敵な映画の投稿をありがとうございます。

イェーツ

濃紺のコートさん。
60歳になってこの映画の感想を言い合えるのってある意味喜ばしい。
さて、私は若い時はこの映画は騒がれるほど良い映画だとは思いませんでした。
伴侶を選び結婚をする時点でそれが生涯最良の出会いであるという期待と夢を描いていたから。
そんなことは無いですね。
悲しいけれど結婚なる言葉への期待と幻想に惑わされたのです。

人間は制度に縛られている生き物なので、結婚を選択した時点で選択の余地が限られて来ます。
それ故に自分の選択や欲望を放棄せざるを得ない場面が多々ある。
結婚が人生の墓場と言われる理由の一つなのでしょう。

その制度の下で過去が積み重なってくる。
生物として本能的に喜びに満ちた子孫が生まれ、子孫を残しやすい制度のもとで生活をしながら思い出が積み重なってゆく。幸せですね。

この映画が良いとされる理由の一つは、主人公達をある程度人生経験を経たモデルにしたことで、過去の積み重ねと運命的な出会いの相剋が深く描くことができたからでしょう。
よって、この映画で感動できる度合いも、観る者の過去の重さの違いにある程度関係してくると思います。
例えば、結婚して家庭を築いたのか、どのくらい年月が経ったかなど。

ですので、最後にフランチェスカが車のドアの取っ手に手をかけた時、空けてイーストウッドの元に走ったら彼女の過去が軽く感じられ感動もより軽いが、ドアの取っ手に手をかけながらもドアを空けなかったからこそ過去の重圧がのしかかりこの映画の重み、人の生き方の重みがより感じられたと私には思えます。
フランチェスカはドアを開けません。
イーストウッドはためらいながら赤いランプを点滅させ彼女の人生から横道に逸れていくのです。

濃紺のコートさんは「多くの人はその経験どころかその存在も知らない」存在を知ったことだけでも幸せだったと信じたいのですね。
私もそうありたいと願っています。
本音を言うと生きている時は切ない、死ぬ間際も、まだ死んでないので分かりませんが、多分切ないと思いますので知らない方が楽かなとも思えます。
ですが、やはり知れたら幸せでしょう。

その時巡り会えたすべての人に感謝しながらこれからも生きていきたいとのこと、濃紺のコートさんの優しい生き方が伺い知れます。
素敵なコメントをどうも有り難う。

イェーツ

フランチェスカが橋にメモで伝言を残します。

「白い蛾が羽を広げる頃 また夕食にどうぞ」

フランチェスカとイーストウッドがイェーツの氏を互いに知っているから通じます。
参考として下にその詩を貼ります。

 さまようアンガスの歌 The Song of Wandering Aengus

私は頭が熱かったので
はしばみの林に出かけた。
そして はしばみを切り剥いで棒をつくり
いちごの実を糸につけ、
白い蛾が飛び
蛾のような星がきらめき出す頃
いちごの実を流れにおとして
銀色の小さな鱒をとらえた。

それを床に置くと
火をおこしにかかった。
しかし、さらさらと床に音がして
誰かが私の名を呼んだ。
それは 林檎の花を髪にかざして

ほのかな光を放つ少女になっていて
私の名前を呼んで駆け出し

そして夜明けの光の中に消えて行った。

私は盆地や丘の起伏を
さまよい、歩きつづけて年老いてしまったが
彼女の行方をつきとめて
その唇にキスして、その手をとりたい。
丈の高いまだらな草地を歩きまわり
時がついに果てるまで
月の銀の林檎と
太陽の金の林檎を摘みたい

ダーティハリー

そんなに深いお話しだったのか・・・

私は泣き虫です。ですがこの映画を見たとき全然泣かなかったと記憶してます。一応条件反射で涙は出たかも🤣知れないけど、感動した記憶はない。小説が爆発ヒットして映画化されるとき、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープが主演と知り驚いた。こんなメロドラマ(失礼😊)にクリント・イーストウッドとメリル・ストリープ⁉️ 

映画前半、旦那の留守に知らない男を家に入れる。そんな~❗、と思ってしまったのでなんとなく白けてしまったのかな。
環境や年代で感じ方も変わるので、ならばもう一度みてみようと思いました。セリフも覚えてないくらい白けた映画でしたが、結構語っちゃうくらい好きになったりしてね💕🤣
ラスト、一緒に来てもらえず車が離れるとき「あららら、そう来たか」と思いました。
それにしても白い蛾のメモね、覚えていなかった🤣 心してもう1度見ます❗

ダーティハリー

見ました😊見るタイミングて感じ方が変わる事はよくわかります。わたしも度々そうゆう時あります。しかしこの映画に関してはさほどありませんでした。正直な感想だから悪く思わないでね❤️
ただ、本の方が面白いと友人が言うので、読んでみます。感情の描写が細やからしいです😊
メリル・ストリーブはさすが過ぎる演技でした。だんだん綺麗になっていく様が素晴らしい⤴️
クリント・イーストウッドも銃持たなくてもかっこ良かったです。
でも、世界中で大ヒットしたし、本も絶賛されたんですよね?なんか乗れない私って・・・⤵️⤵️笑笑 いーけど🤣

イェーツ

ダーティハリーさんはきっと幸せなのだと思います。
この映画は、障害を乗り越えて成就できなかった切ない恋愛物語が好きな人、または、ほとんどの人がそうですが、同じ日常が繰り返される人に共感される映画かもしれません。
毎日同じことが繰り返される生活の中で、日常と異なる刺激を求める。
刺激があると眩しく見えて心惹かれる。
そこで、眩しく見えるものを選択するかしないか葛藤が生じる。
選択者に子供がいるかなど家庭環境や周囲の環境によっても異なるでしょうが、普通は選択しません。そこで、この映画の主人公二人に自分を投影するのだと思います。

仮に、眩しく見えるものを選択したとしてもまた同じことが繰り返されて同じループに至ると思います。

そのループに至らないのが「多くの人はその経験どころかその存在も知らない関係だ。」と私は思っています。
だからその存在を知らない方が良いかも、とも思うのです。

ダーティハリーさんは、正直な感想書いてくれて面白いです(笑)。
どうも有り難う。

イェーツ

ダーティハリーさん。
私も初めて観た時はあまりぴんと来ない映画でした。
しかし、1週間ほど前に観た時には全く別の映画に見えました。
私も歳を取ってそれなりの経験を経て人生の機微、人の感情が一筋縄ではいかないことを少しは学んだからでしょうか。それとも・・・。
人生の後半にさしかかっているクリント・イーストウッド、過去に無意識に囚われていて人生に少し疲れているメリル・ストリープだからこそ良いのです。

ぜひ、ダーティハリーさんがこの映画を再度観た感想を聞きたいと思っています。
「やはりつまらなかった」とここには書きにくい流れですので、もし気になるのならその場合はお会いした時にでもこっそり教えて下さい。
この映画がつまらないと感じた方が幸せかも知れません。

雨降る交差点でイーストウッドが左折せずに直進したのなら未来の亡霊は生き返ったかもしれません。ここは私の独り言です(笑)。

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