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おかしな娘のオモロイ話(13)ー震災の記憶(上)

3月になると思い出す東日本大震災。あれから9年の時が過ぎた。生活や立場やいろいろなものが変わったが、あの日の記憶はいまだ鮮明に残っている。私の妹は当時高校2年生だった。そして父も同じ学校に勤めていた。建物に少し損傷はあったが、幸いケガ人もおらず大きな被害はなかった。だが、ここからが問題である。

地震発生直後、全校生徒と教員たちは着の身着のままで運動場に集められた。だが、そこに帰り支度を整えた教員が1人… 私の父である。実は父はこの日、“本日必着”の書類をある機関へ届けるため駅に向かう途中で地震に遭遇したのだった。そのまま駅に向かったが、駅は既にシャッターが閉められていて学校に引き返してきたのである。
学生1:あれって、〇〇のアボジじゃねえ? 1人だけ帰る気満々じゃん
学生2:お前のおやじ、ホントに面白いよな
(アッパ… もういい加減にしてよ!)コート姿の父親を見て妹はうつむいた。

この日、交通機関の停止により全校生徒と教員は学校に宿泊することとなった。もちろん保護者全員に連絡して、迎えに来た保護者には生徒を引き渡す。テレビもなく電話もつながりにくい状況で学生たちは事の深刻さを認識できず少しワクワク。 教員たちは生徒たちの夕食や布団の確保に追われている。おにぎりや食材を求めてコンビニやスーパーや商店街を走り回っていた。

父もほとんどの店が閉まっている商店街に赴いたが、途中でお腹がすいたので商店街で唯一開いていたラーメン店『日高屋』を見つけ1人夕食を済ませたらしい。えーーー? ほかの教員たちは生徒のために駆けずり回っているというのに、学校では娘を含め生徒たちがお腹をすかせて待ってるというのに…なんて自己中心的な人間なんだ!

自分の父親ながら開いた口がふさがらない  (つづく)