チューインガムとの運命的な出会い
ある日、友人が重光の工場を訪ねてきた。彼はポケットから英文包装のチューインガムを出して、「おい重光君、これをチューインガムというだが、噛んでごらん。米軍の兵隊から貰ったものだ。」
重光青年は言われたように紙を破り、小さなガムを口に入れて噛んでみた。何とも言えぬ口当たりの良さと同時に、これまで味わったことのない初めての芳香と甘さが口中を満たした。噛めば噛むほど、その香りと甘さが口に拡がり、これまで味わったことのない快感が、自らの噛む動作と共に反復されるのだ。小さな恍惚感が脳を満たすようであった。甘さといえば、むかし少年の頃、大切に貯めておいた小銭で、村に廻ってくる飴売りから鋏で切ってもらった飴とも違うスッキリとした味なのだ。そしてその味が5分も10分もつづくのが驚きであった。
「ガムとは、こんな面白い菓子なのか。子供たちが夢中になるのも尤もだ。」
重光青年とチューインガムの運命的ともいえる出会いであった。
これが「商品」になると直感したとき、彼はただちにその実現に向けて、原料とその製法の探求へと精神を集中するのだ。
原料は、ガムベース、糖類、香料および添加物の4成分から成ること、チューインガムの20~30%を占めるガムベースも重要だが、糖類はチューインガムの60~80%を占め、その主成分を形成するとともに、咀嚼により溶けて甘みを出す主体となる。しかし香料は0,5~2%程度の添加量であるが、この%は菓子類の中では特に高いものであり、「香りの菓子」と呼ばれるチューインガムの香味を決定する重要成分であること、4番目の添加物には軟化剤、着色料、香味料などが含まれることが分かった。
原料の第1番目となるガムベースは咀嚼基礎剤といわれるが、それには天然樹脂(植物性樹脂)と酢酸ビニール樹脂、合成ゴムなどがあり、敗戦国の日本では天然樹脂は入手困難でありことが分かった。しかし彼は天然チクル(アカテツ科、産地メキシコ、ガテマラ)の入手先を見つけ、これが彼の作るガムのキャッチフレーズになった。
2番目の糖類は砂糖、ブドウ糖、水あめなどがあり、これは努力次第で入手できそうである。
3番目の香料は、主に油性香料でミント系、フルーツ系、スパイス・ハープ系があることが分かった。
4番目の添加物であるグリセリンや酸味料、着色料などは何とかなる筈である。
このような調査と試作品の準備に熱中している頃、他の友人が戦後、日本で作った風船ガムといわれるものを持ってきた。アメリカ製のガムより量も多く、噛むと安手の甘みが鼻をつき、それもまもなくなくなってゴム成分が残る。そのゴムを巧く風船のようにふくらませて遊ぶのである。彼は、これは子供相手のオモチャであり、一時期、子供たちの人気を得て流行するかも知らないが、奥の深いチューインガム本来の魅力とは異なるものであり、長続きする嗜好品となりえないものだと判断された。主力はアメリカ製のチューインガムに迫ることに定めて、さらに良質のガムの生産を目指して睡眠時間さえおしみ、人知れず汗と、時には涙を流して働いたのである。また、彼は自社製品の質の向上のため、高給であった薬剤師も雇い、製品の向上に努めたのである。
当時、日本国内には400近くのガム会社が乱立して一攫千金を狙っていたが、なかでもハリスはガム業界の横綱といわれており、1952年の時点で全国ガム市場の40%を占めていて、どうしても彼の会社はハリスを追い抜くことができなかった。(ハリスは酢酸ビニールを主原料にしていた)
しかし彼の会社「ロッテ」は、自身のアルバイトの経験を活かし、主婦のパートを起用してセールスの表舞台に登場させ、ガムとは無縁であったタバコ屋にガムを置かしてもらうことにより販路を拡大するなど、地道な末端販売を拡大して、着実にハリスとの差を縮めていった。
工場の労働力には大学生のアルバイトを動員し、彼らにはアルバイト料の他に、惜しみなく奨学金を与え、この奨学金制度は今日もつづいている。
1961年、重光青年はある奇策を思いついた。ロッテはガムの外箱100円分を一口にしてロッテに送ると、抽選で特賞1000万円が当たるという懸賞広告を大々的に新聞に発表したのだ。当時の1000万円とは現在の1億円以上の価値があり、人々は先を争ってロッテガムを買い求め、またたく間に760万口の応募がロッテに殺到したという。
これは公正取引委員会で問題となり、以後このような大型懸賞金は「不当景品防止法」の対象となるとされたが、この騒動を契機にロッテはガムの売り上げを飛躍させ、ハリスを圧倒することになった。
へぇー 偉いね👌
と言いながら、全部読めない😢
だって長いんだもん😓
小説一冊くらい💦
初めと最後だけ読みました。笑
朝は時間切れ。帰ってきたら真ん中読もうかな。🤣
重光さん大好き、도꾜제일の近くに東京スタジアム🏟ロッテオリオンズの本拠地小学校の時、試合がある日はほとんど行った小学生無料だった⚾️同級生とアルトマン、ロペス、有藤選手大好き💕優勝🏆した時はグランドに降りてハシャギまくってた懐かしい🙆♂️又錦糸町のロッテ会館の우리동포の結婚式の聖地、地元墨田지부に所属してた頃ロッテ会館に💐結婚式🤵♂️👰♀️の打ち合わせ지부위윈장と行くと在日朝鮮人特権50万円値引き🫢何組もやってもらいました。重光オーナーには何回かお会いしましたいい人でした。🙇♂️
2日かけて読み終えました。
読み進めるうちに、どんどんハマっていきました。
「家族に豊かな生活をさせたい!」
そこから始まった快進撃。
在日のヒーローですね。
高校時代、新宿駅内のロッテリアに通った頃を懐かしく思い出しました。