卒業の春…再会の準備を始めよう

「ロッテ」の創業者・辛格浩

韓日 両国間の橋渡しの役割

韓日の国交正常化は、新生日本にとっても、解放された経済再生を目指す韓国にとっても、また、この二国に軍事基地を置き、社会主義諸国との冷戦に対処せねばならないアメリカにとっても緊急の課題であった。

また企業を拡大し、故国に対して何かせねばならぬと考えていた重光武雄(辛格浩)にとっても重要な課題であった。

辛格浩はすでに1958年に一度、本国投資を試みて手痛い失敗をなめた苦い経験があったけれども、1960年代に入って日韓正常化交渉が本格化するに従って、自らの本業である投資と企業拡大の絶好のチャンスとして、この交渉に深い関心を払い、注目して来た。

当時、クーデターによって政権の座についた朴正熙政権にとっても、北の社会主義的経済の建設に対して、社会経済的混乱がつづき、経済的成長が切実に要求されえる韓国にとって、両国の国交正常化による日本資本の導入は緊急の課題となっていた。経済の開発のために外国資本の導入が必要とされ、日本在住の辛格浩に対しても、何度も勧誘がなされた。朴正熙大統領は、懐刀である金鐘泌を日本に派遣する時は、在日財界人の代表格である彼に会い、投資の協力の要請をしたという。

当時、韓国では日本による植民地支配に対する補償や戦時賠償として、経済的価値を獲得せねばならないという主張が根強かったが、朴正熙政権は、そうした名分にこだわらず、請求権という法的権利の問題に限定して、日本が韓国に支払う経済的価値の名目と金額に関する具体的な交渉に重点を置き、外資の導入をはかったのであった。

この過程で、日本側代表の歴史的反省のない妄言がしばしば飛び出し、関心を持つ諸国民のひんしゅくと韓国民の憤激をかい、交渉はしばしば中断した。この交渉の過程で明らかになった、日本当局者とその子孫による彼らの犯行に対する反省のなさは、現在もつづく彼らの「歴史的認識」問題として世界の人々に広く知られることになった。

しかし辛格浩は、朴正熙大統領と同じ意見であり、「韓日国交正常化と対日請求権の速やかな妥結は必ず解決せねばならない宿題であり、それは早ければ早いほど良い」というものであった。

彼は後に、この両国代表による交渉過程での自己の立場について、次のような回顧をしたことがある。「いくつかの経路によって韓日会談の両方の代表と面識ができた後は、双方の代表を同席させる役割をしましたし、その機会が重なると、双方の難題や微妙な問題について、私を通じて意見を摺り合わせることもしました。そのようなことをしながら、これまで心に背負ってきた荷物を一つずつ下していくような気分になったし、これまで忘れていた故国に対する私なりの恩返しをしたようで嬉しく思いました。」

日韓基本条約が調印 1965.6.

結局のところ「謝罪」を避けたい日本側と、一日も早く「経済的効果」を求める韓国側は、韓国側に請求権を放棄させる代わりに、相当額の無償援助を提供するという「経済協力」方式で請求権問題を解決することを方針としながら、さまざまな紆余曲折を経て、1965年6月、日韓基本条約が調印され国交が正常化されたのである。

辛格浩は、この国交正常化を祝い、それまで無かった青瓦台の冷暖房施設の提供を申し入れた。朴正熙大統領への尊敬に基づく行為であった。(これは後日、彼の企業の韓国進出に大きなプラスになったことであろう。)

両国国交正常化交渉で裏方として働き、日本で朴正熙の経済開発を支持する支え木の役割を果たした辛格浩は、その後、日本資本の韓国進出に際して、韓日双方の事情に精しい人物として助言を求められることが多くなった。

そして、彼自身も再び韓国への進出を本格的に計画し、実行に移していくのである。

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4 COMMENTS

もっと要約出来ない?🙏

へぇー 偉いね👌
と言いながら、全部読めない😢
だって長いんだもん😓
小説一冊くらい💦

ロッテと言えばBTS🕺

初めと最後だけ読みました。笑
朝は時間切れ。帰ってきたら真ん中読もうかな。🤣

男はつらいよ

重光さん大好き、도꾜제일の近くに東京スタジアム🏟ロッテオリオンズの本拠地小学校の時、試合がある日はほとんど行った小学生無料だった⚾️同級生とアルトマン、ロペス、有藤選手大好き💕優勝🏆した時はグランドに降りてハシャギまくってた懐かしい🙆‍♂️又錦糸町のロッテ会館の우리동포の結婚式の聖地、地元墨田지부に所属してた頃ロッテ会館に💐結婚式🤵‍♂️👰‍♀️の打ち合わせ지부위윈장と行くと在日朝鮮人特権50万円値引き🫢何組もやってもらいました。重光オーナーには何回かお会いしましたいい人でした。🙇‍♂️

ロッテリア好きでした。

2日かけて読み終えました。
読み進めるうちに、どんどんハマっていきました。
「家族に豊かな生活をさせたい!」
そこから始まった快進撃。
在日のヒーローですね。
高校時代、新宿駅内のロッテリアに通った頃を懐かしく思い出しました。

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