春のうららかさを感じよう

【台東】アーカイブ写真①-過酷な状況でも団結して

苦しかった生活

台東区という地名は1947年下谷区と浅草区が統合され生まれました。多くの同胞たちは植民地支配からは解放されたものの、無一文の状態で悲惨な状況に置かれていました。

50年代の浅草同胞

そんな中台東の同胞たちは、上野から御徒町に至る鉄道沿線の道路と、東京都が所有する空地の三か所、また浅草六区から浅草寺に至る道路左側二か所の合計6か所に主に集まって暮らしてました。

御徒町での警察の弾圧

しかし日本政府は集団部落と露店に対する捜索と弾圧を強めていきます。

朝聯下谷支部1周年記念

朝聯支部が結成され、同胞たちはこの時すでに団結した力で強固な同胞社会の基礎を固めていきました。

東京第1設立当時の学生と教員

2 COMMENTS

匿名

どこの地域にもある、一世同胞の団結した力の結集がウリハッキョなんだなと改めて思います。
時代の流れか、我々が学んだ学校が無くなったり疲弊して行く姿には心が痛いですね。
一世が、無から立ち上げたウリハッキョは、絶対守らねばいけない大切な在日の財産なんだと今一度強く思いました。
こう言う企画も良いですね👍👍

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