春のうららかさを感じよう

金浦空港での出来事

昨年4月、私は仕事で済州島へ行った。ソウルでひとつ目の仕事を終えて金浦空港へ行くと、乗るはずだった飛行機便は既に締め切られていた。仕方なく2時間後の便に変更し、搭乗口で済州島行きの飛行機を2時間待つことにした。
その日は済州島4.3事件記念行事の前日で、済州島行きの搭乗口は人であふれていた。 私が周りの人々をボーッと観察していると、作務衣のような개량한복に身を包んだ、いかにも気難しそうな僧侶風の人と夫人とみられる女性、そしてお付きの女性の人が席を探してウロウロしていた。席は飛び飛びに空いていて、2~3人がまとまって座れる席はない。

たまたま私の両隣が空いていたので、私は席をずれてその一行に合図した。僧侶風の老人が笑みを浮かべながら私の隣に座った。すると、私の反対側に座っていたおばさんが私の腕を突っついた。私はその意味が分からなかったが、おばさんは韓国人特有の人懐っこさで私にささやく。

おばさん:テレビに出る有名人よ
きょとんとする私をよそにおばさんが老人に語りかける
おばさん:도올先生ですよね?
老人がゆっくりとうなずく。
おばさん:済州島4.3抗争の行事にいらっしゃるんですか?
老人:はい
よほどうれしかったのか、そのおばさんは私を挟んで老人に自分のことを話し出した。話によると私の隣のおばさんの父親は釜山で開業医をしていたが、仕事で済州島に行き4.3事件に巻き込まれて命を落としたそうだ。それで毎年済州島で開かれる4.3事件の行事に参加しているそうだ。

私を挟んでの2人のやり取りがしばらく続いた。
(私だって4.3行事に行くのに… 会話に加わりたいけど、この人を知らないし…)だが、なぜか自分をアピールしたくて私は口を開いた。
私:私は行事に参加するために東京から来ました。
老人:東京から? …身内が犠牲になったのかい?
私:いいえ。4.3行事の仕事です。私は日本で生まれましたが故郷は済州島です。
老人:故郷が済州島…
   日本から来たのになぜそんなに韓国語がうまいんだ?
私:はい。日本にある朝鮮学校で学びました。
瞬間、老人の目がキラリと輝いた
老人:朝鮮学校?!
   じゃあ朝鮮大学まで通ったのか?
私:はい!
(ウリハッキョだけでなく朝大まで知っているなんて…一体この人は何者?)
そんな私の心の驚きを見透かすように、老人はうれしそうに話を始めた。

老人は10年以上前に愛知のウリハッキョを訪問していた。子供たちの歓迎ぶりに校門をくぐる時から涙が止まらなかったそうだ。子供たちがみんな素直で明るくて礼儀正しくて、自分の講義に小さな子供たちが目をキラキラさせながら真剣に聞いてる姿が忘れられないと、老人が興奮気味に語る。
隣に座っていた夫人も話に加わって、ウリハッキョや在日同胞の話で盛り上がる。それもソウルの空港の搭乗口で。
(こんなに怖そうな人を泣かすなんて、ウリハッキョの子供たち恐るべし…)

いよいよ搭乗という時に老人が分厚い本と筆をおもむろに取り出した。本のタイトルは「우린 너무 몰랐다」。老人の著書である。そして、その裏表紙に線を描きだした。見事な手さばき。蘭草画だ。
老人:これは最近出版したばかりの私の本だが、今日の記念に差し上げよう。日本でつらいことがあっても蘭草のように凛々しく、しなやかに生きるんだぞ
私:はい!負けません!(大感激!)

翌日、老人は済州島の4.3事件を若い人に伝えなくてはと俳優のユ・アインやイ・ヒョリを連れて参加し、追悼イベントの冒頭で<済州平和宣言>を声高らかにうたっていた。
도올ー김용옥… 老人は韓国では知らない人のいない、とてつもない大物だった。

3 COMMENTS

普通の人②

先生の経歴すごすぎ❣️奥様、子供達の経歴もすごすぎる。😱
いいな〜サイン入り本、素晴らしい縁かも。❤️

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