春のうららかさを感じよう

【西東京】アーカイブ写真4ー希望の灯台②

1947年秋には三多摩地域の5ヶ所の学院を統合し、本格的な学校を設置するための建設が開始されました。その場所が現在の西東京朝鮮第1初中級学校の所在地、立川市錦町4丁目です。

立川朝聯初等学校学院生1946.12.

1947年10月、GHQは「朝鮮学校は正規の教科の追加科目として朝鮮語を教えることを許されるとの例外を認める外は日本のすべての従わしめるよう」同化教育方針を表明します。学校建設は当初から占領軍と日本当局を相手とした二重の困難が付きまといました。

婦女同盟結成大会1947.5.

しかし一世たちは、結婚指輪まで売ってお金を工面したり、みずからスコップやつるはしを持って学校建設に参加します。

三多摩朝鮮初等学校建設起工式1947.秋

当時のお金で200万円が集まりましたが、校舎を完成させるには足りない資金でした。

それでも1948年1月には窓ガラスもなく、廊下部分には床の張り替えが済んでない状況下で授業を開始します。1949年1月についに校舎が完成します。教室7室、教職員室や宿直室、倉庫などが完備された木造の校舎は、わが三多摩のウリハッキョの最初の校舎になりました。