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【特別講義】第2講 朝鮮学校、弾圧と克服の歴史(上1)

いまウリハッキョの歴史を韓国の市民に正確に知らせるための「モンダンヨンピル特別講義」が、モンダンヨンピルYouTubeチャンネルで始まっています。

4月から始まったモンダンヨンピル特別講義は、日本の植民地支配から現在までのウリハッキョの歴史を、著名な在日歴史学者の講義を通じて勉強する映像教育プロジェクト。 

今回は明治学院大学の歴史学の教授である、チョン・ヨンファン教授の授業です。

-タイムライン-
0:08 講師挨拶
0:28 民族教育の形成「日帝強占期」
2:57 日帝強占期の弾圧
4:29 民族教育の形成「解放以降」
6:07 民族教育の体系化
7:10 日本政府の対応
7:57 次回講演の予告

12 COMMENTS

ムーリャン

1853年にペリーが浦賀に来航しました。その15年後に日本は明治維新を成し遂げ近代国家の道を歩み始めます。朝鮮には、1868年にアメリカの商船シャーマン号が通商を求めて来航しました。その後、日帝時代が始まるまで40年の期間が有りました。日帝時代の文献は多いのですが、何故か、この40年に関する文献は少ないのです。李完用ら七戝に責任を押し付けるだけで良いのだろうか? 
私は、この40年の総括が是非とも必要であり大切だと思えてならないのです。

Mr. サンシャイン

わたしも同感です.日清戦争後の1897年に朝鮮王朝は国号を「大韓帝国」とあらためました.清日戦争に日本が勝利したことが大きな原因でした.南ではこの時期を現在の韓国と区別するため「旧韓末」と称し,研究が蓄積されています.一方,北はこの時期の歴史を,極端に表現すればミソもクソも(m(_ _)m)乙巳五賊のせいにして済ませるきらいがあります.われわれが朝鮮学校で学んだ歴史もその影響をうけているのではないでしょうか?この分野にくわしい同級生に意見を乞います.

ムーリャン

私が、常に思っていることはそろそろ「被害者史観」から、脱却してくれないか、ということです。歴史を直視しろと声高に叫んでいる国が実は歴史を直視していないのではないか? 確かに「失われた40年」は、恥ずかしい時代だったかも知れません。日本と一戦も交戦すること無く軍隊を解散させられ、併合条約に調印させられたのですから。でも、だからと言ってその責任を一部の戦犯のせいにすることで済ませられるのでしょうか? その時々の為政者、社会構造さらには一人一人の庶民まで含めて、幅広い研究を期待したいのです。

Mr. サンシャイン

同感です.圧倒的な国力の差がなければ他国を併合できるものではありません.20世紀はじめの朝鮮と日本はそういう関係にありました.そして,それは一部の例外をのぞけば朝鮮人・韓国人の常識となっているとも思います.旧韓末の歴史は自戒をこめて研究が進んでいます.常識的な人なら朝鮮人も日本人も過去の歴史を二度とくりかえしてはならないと思っているのに,一部の日本人が「妄言」をすると,朝鮮・韓国がわが応酬するという悪循環がつづいています.しかしそれも旧世代に限られると思います.邪心のない日本の若者たちは韓国にあこがれを感じています.老兵は去るのみです.

ムーリャン

「負の歴史も私たちの歴史」に他ならないのです。自分の立場と違うから、自分の価値観と違うからと言って目を背けるのは、公正な態度とは思えません。子供、孫の世代に歴史問題という足枷を課したくないのです。彼らには自由な立場で考え、思考してもらいたい。私たちのの世代で歴史問題を解決出来ればと願うばかりです。「妄言」に関して言えば「言いたい奴には、言わせておけ」という位の度量と道徳的優位性を持ちたいものです。

Mr. サンシャイン

ムーリャンさんと考えるところは大きく違わないと考えるのに,なにか噛みあわない感じがします.わたしも,おバカには言わせておけばいいと超然としていた時期があります.しかし,わが子が日本社会で朝日・韓日関係をめぐって苦労する姿を見るにつけ,やはりおバカにはお灸をすえる必要があると考えを改めました.おバカに対抗するのに「道徳的優位」など徒手空拳と同じです.朝鮮が近代化に乗りおくれたことは前提のはなしです.この事実さえも負け惜しみして認めない人とは,そもそも議論をしたくもありません.

ムーリャン

日帝時代が結果だとすると、原因があるはずです。その原因は、やはり「失われた40年」だと思います。もちろん、40年の間に様々な改革の動きがあったことは、それなりに理解しているつもりです。では何故、改革は成功しなかったのか?根本的な要因は社会構造にあったと思っています。では何故社会構造を変革できなかったのか?その遠因は、一人一人の庶民の意識だと思います。様々な矛盾を抱えていても社会の変革は望んでいなかったのでは? それなりに既得権益もあったでしょうから。
今日の歴史問題の解決も、やはり一人一人の意識が鍵となるのでしょう。 バラダイムシフトしない限り問題解決は無理なのでしょうか。

なるほど

知らない言葉が出てきたので検索してみました。

パラダイムシフト(英:paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。パラダイムチェンジともいう。

このところ、ちょっと新鮮です😌

Mr.サンシャイン

朝鮮で開化派と衛正斥邪派(朝鮮版攘夷派)とが対立した構図は,日本の開国と攘夷をめぐる紛糾と似ているし,近代化も模索されました(甲午改革).しかし結局すべて失敗し日本に併合されました.
日本は改革に機敏でした.欧米と戦争した薩摩も長州も,かれらの強大なるを知るや,一転して,西洋を学ぼうと路線を変えます.日本は外来文明の導入に長けています.服を着がえるように,漢字の文明から西洋の文明に乗りかえました.
朝鮮とチャイナにそれができなかったのは,自分たちが文明だという意識がつよすぎたからだと思います(朝鮮はチャイナ以上の中華).服を着がえるどころか,皮膚を剥ぎとられるような艱難辛苦がともないます.
いまやチャイナはGDP世界2位,韓国も一人あたりで早晩日本を追いぬくことでしょう.

李朝

李朝は宗教国家であった。

日本は武の国で、文の国ではなかった。
現在でも「侍ジャパン」です。
武の国の特徴は変化に非常に敏感です。
「服を着替える様に西洋の文明に乗り換えました」とありました。
言葉を変えれば
哲学がないといえます。

李朝時代は文の国で武の国ではありませんでした。
言葉を変えれば思想、哲学、宗教国家でありました。、
哲学、宗教国家は変化しないというのが特徴です。
当然の結果として、世界的大変化の時流に大きく乗り遅れました。

ムーリャン

 「英雄が歴史を創る」とは理解しやすいが「時代が英雄を創る」とは理解しづらいと言われます。 英雄も時代の要請がなければ活躍できません。 では、「時代」とは何んなのでしょうか? 「時代」の正体は? そうなんです。 「時代」の正体は、まさしく「人々の意識」なのです。 ですから「失われた40年」の期に英雄(全捧準)が何人現れても改革は成功しなかったのではないでしょうか?。 では何故、意識改革できなかったのか? それは、やはりサンシャイン氏が指摘されているように小中華思想の影響でしょう。 何百年にも渡り、社会構造・日常の生活様式の隅々にまで滲み込んだ思考方法(小中華思想)を変えることは至難だと思われます。 ですから、「近代化の波が押し寄せているぞ!」「社会改革が必要だぞ!」といくらイデオローグが叫んでも改革は無理だったのです。 すると、日帝時代の到来は「必然」だったのでしょうか? 私は「失われた40年」を客観視できない真の、そして根本的な理由はこの点にあると思っているのです。 誰だって、日帝時代の到来を「必然」だと認めたくないですから。
 でも「負の歴史も私たちの歴史」なのです。    
         完

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