今日は最近話題のヒガシの話からしよう。ヒガシとは東国原英夫のことではないからあしからず。
東山紀之は苦労人だ。 彼の半生が綴られた「カワサキ・キッド」にはこう書いてある。「僕の一家は、川崎駅近く、ソープランドが密集する界隈の、父方の祖父母の家で暮らしていた」
「祖父はロシア人の血を引いていた。大酒飲みで、昼間、理容師の母が仕事に出ている間に、酔っぱらって暴れ、ポットをひっくり返して、熱湯が僕の足にかかった…3歳のときに、妹が生まれてまもなく、両親は離婚。僕のヤケドが引き金になったとも聞く」
両親が離婚し、母子家庭になった東山は、川崎市内のコリアンタウンに転居した後も、食うや食わずの生活を強いられていた。一家は、近所で焼肉店を営む在日朝鮮人母子に助けられたという。
「僕と妹が毎日、お宅にあがり込むと、おばあちゃんはいつも店の豚足を食べさせてくれる。 僕たちはそれにかぶりついた。貧しくてお腹を空かせていた僕たちは、あの頃、 あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」
母親が再婚したのは、東山が小学校4年生の頃。 相手は酒に酔うと暴力を振るう男だった。飯を炊いていない、口答えをする…などの理由をつけては拳骨で殴られる。
「あのころ、桜本の在日の人々のほとんどが、本名を名乗れない状況にあった。地元の小中学校の近くに朝鮮学校があったが、日本人の子どもの間では、『朝校の生徒に会ったら鼻に割り箸を突っ込まれるから気をつけろ』などというデマが流れていたりした。僕は『そんなことないのに!』と、もどかしくてならなかった」
しかし突然、彼の暮らしを一変させる出来事が起こる。渋谷に出かけた際に中年の男性に声をかけられたのだ。 差し出された名刺には「ジャニー喜多川」とあった。
一度は断ったものの結局、レッスンに通うようになった東山は「少年隊」の一員としてデビューする。
でも、デビューしてしばらく経った頃、母親が不動産投資などに失敗していたことが発覚し、億単位の借金を抱えることになった。そして東山は思ったそうだ。「僕は商才がない母の血を引いている。だから、この仕事以外には絶対に手を出すまいと」
その東山が、歌手や俳優の道を諦めて「経営者」としての手腕を問われる事態になろうとは、何という運命のイタズラであろうか。
会見を開けば、重箱の隅をつつくような「穴探し」を始めるマスコミたちには、本当にうんざりするが、是非、東山紀之さんには頑張ってほしいと思う。 幼い頃に在日コリアンと関係があったという事実だけでも、個人的に非常に好感が持てるというか、ワタシは応援したくなるのだ。
この本の最後には、久しぶりに川崎・桜本のコリアンタウンを訪れ、在日の人々への想いをこのようにつづっている。
「この街に戦前、朝鮮半島から来た人々が多く働いていたのも、日本の重工業を基底で担っていたからだ。僕が幼いころは『ヨイトマケの唄』のように『エンヤコーラ』の掛け声に合わせて、泥の中でランニング姿で滑車の網を引いたり、ツルハシをかざしている人たちの光景をあちこちで目にした…幼い頃、僕は在日の『シュウちゃん』の家に、毎日遊びに行っていた。焼肉店をやっていたおばちゃんは、豚足とトック(おもち)をいっぱい出してくれた。いつもすきっ腹だった僕は、蒸した豚足に赤いコチジャン(唐辛子味噌)をつけてむしゃむしゃ食べた。温かいトックのうまかったこと!自分たちも貧しかったけれど、さらに貧しい人々を支えなければいけないという気持ちを大人も子どもも持っていたと思う。」
ガンバレー!ヒガシ!
いや!東国原英夫ではないのであしからず…。
私だって応援するよ❗💕
昔からアンチジャニーズだけど、スマップとヒガシだけは好き💕このブログで「カワサキ・キッド」が紹介されてから、いつもヒガシの後ろには豚足を出してくれた川崎のアジュモニが見えるのです。頑張れヒガシ💕
がんばれ~ひがし~ だけど、無理かも💦
どうして東山がこんな、どうしようもない面倒なことを引き受けちゃったのかな?と。
昔 ジュリーと許婚だったと聞いたこともある👂根っから真面目だから受けざるを得なかったのかな?💦 キムタクはどうした~💦マッチは?仲居は?みんな汚い人間か?
東山は、そのまま役者をやってた方が良いと思ったけどね👀
東山いまだに信念を持って頑張れるのは
辛い生い立ちがあったのですね‼️
応援します🙇⤵️
同じ世代に入るかな⁉️
東山のパワーを貰い
生きた老後を過ごしたいと思います❤️
ジャニー喜多川の性加害問題では、放送業界は言うにおよばず、ジャーナリズム、スポンサー企業にくわえてファンにいたるまで、脛に傷をもたない者はいません。しかし、だれかが批判をしなければならないとはいえ、マスコミや企業が自分を棚のうえに上げてする対応はじつに醜悪です。火中の栗をひろった東山と井ノ原は立派です。
そのとーーーーーり💕
昔、「カワサキ・キッド」読みました。東山君の生い立ちや率直な文章に彼の人柄を感じました。ジャニーさんが自宅まで来て食事を一緒にしたというエピソードもあったような記憶が。その時のジャニーさんの言葉か確か、「ユー、魚の食べ方上手いね」だったような。でも、今この本は古本屋でも高値で変えないんですよ。残念です。
私は図書館に予約入れました。
今は会員登録すれば、インターネットで書籍の予約ができるから便利ですよ。
文庫本(726円)は品切れで、amazonではプレミアがついて2000円から売り出しています。
やっぱり、ロシアの血が混ざってたんだー
あの彫りの深さ、西洋の血だよねー
川崎のコリアン街で在日の할머니達の世話になってたけど、在日ではないのが残念❗️
改めて「カワサキ・キッド」の書籍を読み返して見ると、東山紀之にとって、ジャニー喜多川は人生を変える上で、大きな存在だったことに変わりはないと思う。 もし渋谷での出会いがなければ、今の東山紀之は芸能界で活躍もできなかったと思うし、性加害加害問題に揺れる会社の中に飛び込んで「家中の栗」を拾うことを買って出なかっただろうと思う。それほど ジャニー喜多川に対しては口にこそ言えないが「恩義」を感じていたんだと思う。何年か経ったら、また芸能界に復帰してもらいたいと思うのは私だけかもしれないが、これからも東山紀之という人物を注視していきたいと思う。