1次リーグ第3戦のサモア戦で、SO李承信(神戸)がメンバー入りした。W杯デビューを飾る可能性のある一戦を前に、父・東慶さん(58)は愛息の活躍を願った。承信が11歳の時に母・金永福さんが44歳の若さで亡くなり、2人の兄とともに家族にとって夢舞台だったW杯。天国で見守る母へ雄姿を届ける。東慶さんは桜戦士として戦う承信を「誇らしい」と語り、3兄弟を育て上げた当時の生活を振り返った。
父・東慶さんをはじめ、長兄の承記さん、次兄の承赫(三重)とラグビー選手一家の李家。夢の舞台に立つ息子に、東慶さんは感慨深そうに語る。
「日本代表としてW杯に出られることは誇らしい。承信は体格も標準。代表入りは簡単ではありません」
東慶さんにとって思い出の一戦は、昨年11月のフランス戦だ。先発起用され、親族とともに現地で見守った。
「走馬灯のように承信を育ててきた年月がよみがえってきた。一番見てほしかった母親がいない残念さ、天国で見ているだろうという気持ち。親族全員が応援にきて、一つになった。ラグビーというスポーツはすごいなと思いました」
承信が11歳だった2012年、母の永福さんが病気のため他界。周囲の助けも借りながら、東慶さんは子育てに奔走した。
「お米の炊き方も分からず、クックパッドを見て料理をしました。承信は母の作るビビンバが好きでした。小学3年くらいから入院し、兄弟の中で一番母と接する時間が短かった。承信が一番つらかったと思います。妻が病院から帰ってこられないと聞いた時、長男は母が亡くなることを分かっていたが承信は小さくて分かっていなかった。息子たちには、『オモニが亡くなっても皆で一生懸命生きよう』と。家族の中に一本線が通っていたのがラグビー。兄弟の絆も強く、花園に出るなど目標がありました」
3兄弟の通学のため、最寄り駅まで朝5時半、夜は9時に送り迎えの日々。ラグビーに打ち込む息子たちを、父は必死に支えた。
「ラグビーや食べることで我慢をさせたくなかった。妻の生前は家族全員で誰かの試合の応援に行って、一緒に風呂に入り、ご飯を食べ、何気ない日常が一番幸せだった。亡くなった後、その生活がなくなるのが一番残念なので。3兄弟の手助けを目いっぱいしました」
父の思いに応え、承信は大阪朝鮮高3年時に主将で花園に出場。高校日本代表にも選ばれた。帝京大を2年で中退後、海外挑戦を目指したがコロナ禍で断念。20年に神戸入りし、SOとして花開いて若き司令塔として成長。桜の戦士として、李家の思いを胸にW杯に挑む承信を父は現地で見守る。
「長男の承記ら親族6人でフランスへ応援に行きます。チケットは何とか取れました。現地でサモア戦も応援したいと思います」
記事はスポーツ報知から引用
アボジ、よく再婚もせずに子供たちのために頑張りましたね。
普通は出来ないことですね。このような事情を聞いちゃうと、余計応援しちゃいますよね
がんばれ~スンシン👍 がんばれ~アボジ👍 がんばれ~天国のオモニ~👍
子どもの運動会でのリレーや応援する姿。
結婚式や成人式の晴れ姿。
卒業式での立派な成長。
それぞれに規模は違うけど、親の気持ちはどれも一緒。
フランスでの晴れ舞台、叶って良かったですね。思い切り応援してあげてください。