旅行からの帰り道。早めに帰ろうかと朝食を食べ準備をする。 帰りながら「韮山反射炉まで〇キロ」という看板に目を奪われた。確か世界文化遺産に登録された施設だよね。急遽予定を変更し、韮山反射炉に向かう。
韮山反射炉は、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパで発達した金属を溶かして、大砲などを鋳造するための溶解炉で、内部の天井がドーム状になっているのが特徴だ。
なぜ「反射炉」と呼ばれるのかと言うと、石炭などを燃料として燃やした熱や炎が、炉内の天井で反射させて1点に集中させることによって銑鉄を溶かすことが可能な千数百度の高温まで温度を上げることができるらしい。熱や炎を反射させる仕組みから「反射炉」と呼ばれたのだ。
江戸末期、日本は1840年のアヘン戦争を契機に、列強諸国の侵略に対抗するための軍事力の強化が大きな課題となった。それを受けて江戸幕府も、近代的な世界の軍事技術や制度の導入がはかられ始めた。
反射炉は当初は伊豆の下田港に近い本郷村というところで着工し、基礎工事が行われていたが、1854年3月下田に入航していたペリー艦隊の水兵が、敷地内に侵入する事件が起きる。慌てたのは江戸幕府だ。外国に対抗するための大砲を作る建設現場に入れられたのだから。下田までの築造のために用意されていたレンガや石材は、ここ韮山に運ばれ、改めて利用することになる。
「なるほど~」こんな山奥に反射炉を作った意味をやっと理解した。大砲を作る工場だったのね。勉強になる~。
施設を見ながらふと思ったが、北朝鮮の寧辺にある「原子力関連施設」も、ある意味このような目的なのかも知れないと思う。
憎きアメリカに対抗するため、核開発を進める北朝鮮にとっては誰も入らない山奥に密かに核開発施設を作っている。これも150年前の江戸幕府と何ら変わらないのではないかと思えてきた。
大砲の製造工場として建設された韮山反射炉は、反射炉だけでなく関連する様々な建物が建てられた。これは大砲の製造工場としての巨大なシステムを形成していたのだ。
でもこの計画が、明治政府ではなく、江戸幕府がやったということが私には驚きだった。李氏朝鮮時代の両班たちも、そのような先見的な目を持っていたら、36年間日本の植民地になり下がり、解放後は南北の分断という悲劇を生まなかったかもしれない。
韮山反射炉は稼働を終えたのち、150年以上にわたり地域住民の理解や協力のもと補修や修理工事を重ねながら、今日まで保存されてきた。いまでは世界文化遺産に登録され、 多くの観光客が江戸時代末期の日本の産業革命遺産を見学しに訪れている。
近い将来わが祖国も一つの国になり「延辺の原子力施設」も世界文化遺産に登録される日が来たらいいのに…と思いながら帰路を急いだ。
へぇ~こんな施設しらなかった~💦 大砲を作る施設なんだね~👀
でも、色んな所にいろんな遺産が残っているもんだね~
北の核施設はどうなるのかな?
でも武器を作るんじゃなくて文化をはぐくみたいよね~😆
勉強になりました。
反射炉の説明、でも多分明日くらいには忘れちゃいそうだな😢
延辺の施設が近い将来文化遺産に…のくだり。
生きてる内は望めないだろうけど、いつか、いつか、と願います。