9月に咲く花のように

【投稿】登戸研究所を訪ねる

稲城市に隣接する川崎市多摩区の明治大学生田キャンパス構内の南西端に「明治大学平和教育登戸研究所資料館」がある。

登戸研究所は1938年、 防諜ちょうぼう(スパイ活動の防止)、諜報ちょうほう(スパイ活動)謀略ぼうりゃく(破壊・攪乱活動・暗殺)・宣伝(人心の誘導)のための、様々な秘密戦兵器の開発を行う陸軍の実験場として開設された。 正式名称は「第九陸軍技術研究所」であったが、 研究開発内容を隠すため「登戸研究所」という隠匿いんとく名で呼ばれていた。

登戸研究所は開設当初は、主に電波兵器などの開発を行っていたが、2年後には大幅に機能が拡充され、従来の電波無線関係が第1科になり、新たに毒物・薬物・生物兵器・スパイ用品を扱う第2科、儀礼・偽造パスポート製造を行う第3科が設置された。また戦争末期には兵器の量産部門である第4科が置かれ、第1科では風船爆弾の開発も行われた。

敗戦の当日、この研究所の関連施設では陸軍の命令により全ての実験器具や関係書類を焼却・埋設するなどの証拠隠滅作業が行われ、翌日には解散式が行われたという。一時期に米軍に接収されたが、戦犯指名を受けた関係者は一人もいなかったという。

明治大学が旧登戸研究所のおよそ半分の跡地を購入し、生田キャンパス(農学部)を開設したのは1950年のことであった。

時は流れ、1980年代に展開された反核・平和運動の高まりから、地域の戦争の歴史と真摯に向き合う高校生たちの運動が功を奏し、この研究所に関する調査活動が行われた。

1985年には川崎市平和推進施策の一環として「中原平和教育学級」を開設。2010年明治大学は、構内に残る登戸研究所第2科実験棟の建物を保存活用し「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を開館した。

日本が行った戦争の暗部を直視し、戦争の本質を後世に語り継ぐことで、歴史・平和・科学教育の発信地としたいというのが、この資料館設立の趣旨だという 。

開館時間は水曜から土曜日までしか開いていないので、行かれる方はホームページを参照ください。

2 COMMENTS

スパイの王様はゾルゲ

いやいや、こんな施設が残っていたとはね。
昔、中野電波と言う右翼の学校があったそうだけど、ここは陸軍中野学校(スパイ養成所)がその前身だったとか…

私の好きなジャンルにどストライクです。
是非訪ねてみたい。

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