むかし見た時、目を真っ赤に腫らした記憶のある映画は、いつまでも記憶の奥に残っているが、そんな映画の一つとしてヴィットリオ・デ・シーカ「ひまわり」がある。
「ひまわり」は既に名作として広く知れ渡っていたし、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンに惹かれ、見逃せない映画として観に行ったのだが、映画館を出る時には両目を赤く腫らし、心は打ちのめされていた。
若い頃に衝撃を受けて、立て続けに二度観て以来、「ひまわり」を観ることはなかった。ところがつい最近、この映画を40数年ぶりに観ることになった。また、嗚咽を漏らしたらどうしようと少し怯えながら観始める。
ところが涙は一滴もこぼれなかった。もちろん、ソ連戦線に送られて何十年も行方知らずの夫、イタリアから単身やってきた妻、二人が鉄道のプラットホームで再会する場面の哀切も、戦争がもたらす男女の運命の残酷さも、あの頃と変わりなく胸に迫ってくる。
しかし、昔は泣けて泣けて仕方がなかったのに、今はその深い感情が涙には変わらない。これはどうしたわけだろう。涙も出ないくらい私の心は廃れてしまったのかと苦笑いが出たけれど、それだけでもないと思い至った。
初めて「ひまわり」を観た時から、今日まで私自身にも有形無形の別れが沢山あった。たとえ理不尽でも、別れを受け入れなければ生きていけないのが人生でもあるらしい。
でも、泣けないかわり、思いがけない幸福感も抱いた。恋女房ジョバンナのために色男アントニオが意気揚々と卵を24個、白いボールの中に次々割り入れる。
「料理は得意なんだ。君のために傑作を作るよ」
食卓には、フライパンで焼いた巨大なオムレツ、2枚のお皿、赤ワインのボトルとグラス。結婚したばかりの二人は、塩と胡椒だけで味付けした大きなオムレツをひたすら食べて、食べて、お皿が空になった頃にはゲップが出そうだ。
「どうやって食ったのかな」
「ひと月は卵と絶交よ。玉ねぎが入ってなくて良かった」
針の振り切れそうな幸福が巨大なオムレツの中に充填され、その温かみが映画をぽっと照らしていた。
そして、スクリーンいっぱいに広がる異様な数の黄色いまんまるのひまわり、巨大なオムレツ、二つは明らかに重なり合っている。
「ひまわり」はオムレツの映画でもあったのだ。
ソフィアローレン💕 綺麗ですね~
でも、投稿者はよく気が付きましたね~ オムレツの映画だと~👀
映画で、目をはらすほど泣いたこと無いなぁ~💦
歳のせいで、涙もろくなっちゃってるけど、すぐに涙が枯れちゃう~😆
良い映画にめぐり合えてないのかな? おせ~て👏
初公開50周年にロシアのウクライナ侵略がかさなって、一層この映画が注目をあつめました。われわれ朝鮮人も南と北で、あるいは南と日本、北と日本とで、アントニオとジョバンナのようなカップルが引き裂かれました。
「ひまわりはオムレツの映画」⁉️
う〰️〰️ん、深い❗
私は10回以上観てまして大大好きな映画です。久しぶりに観ると、違う感じかたになることありますよね。よくわかります。
オムレツは相思相愛な夫婦のじゃれ事で、
ひまわりは、悲しくてもつらくても、綺麗なひまわりは咲き誇る。私にはそう見えましたよ。映画って面白いね💕