ウズベキスタンと朝鮮にルーツを持つブランド〈J.Kim〉を身にまとい、ソ連に移り住んだ朝鮮民族の子孫たちが、アイデンティティやコミュニティ、そして異国にふるさとを見出すことについて語った。
マリオ(25歳) 撮影監督
──あなたの家族の出身は?
僕は複数の人種にルーツがある。母はロシア人で、父は朝鮮人。1920年代、日本の帝国主義者による弾圧が始まると、僕の曽祖父は父方の祖母を文字どおり腕に抱えてソ連にやってきた。ふたりはそこでゼロから生活を始め、そこそこ順調に暮らしていた。今度はソ連による弾圧が始まって、朝鮮人がウズベキスタンやカザフスタンへ送られると、もう一度始めからやり直さなければならなかった。ウズベキスタンでは、祖母から聞いた限りでは、気候があまり良くなくて、親戚たちはみんな(ロシアの)ロストフ近郊に移住することにしたらしい。そこには広大な土地があって、米なんかを育てて未来を築いていける場所だった。
──朝鮮に戻った家族はいますか?
姉妹は戻った。彼女はすごく韓国に行きたがっていた。僕たちの中の何かが朝鮮とつながっているんだ。実際にそこにいなくても、それが自分の一部になっているような、不思議な感覚がある。何人かの親戚が朝鮮に戻ったという話は聞いた。高麗人専用の就労ビザでね。彼らは巡り巡って最後には〈故郷〉に帰ったんだ。
──自分は朝鮮人だと思いますか?
「僕は朝鮮人だ」と自分をひとつの箱に押し込めたり、レッテルを貼ったりする必要はないんじゃないかな。自分を朝鮮人とは呼べないと思う。朝鮮的な考え方は、僕にとって馴染みがないものばかりだから。でも、だからと言って自分が100%ロシア人だとも思えない。僕は朝鮮人でもロシア人でもない。その中間にいる。子どもの頃からずっとそう感じてきた。僕と同じ年頃の、異国で暮らす朝鮮人ならわかってくれるんじゃないかな。
アンナ(27歳) プロダクトエディター
──出身はどこですか?
タジキスタンのドゥシャンベで生まれて、2歳のときに移住した。その瞬間に、わたしのアイデンティティが枝分かれした気がする。移住先は(ロシアの)ヴォルゴグラードで、2009年からはモスクワで通学、生活してる。わたしはロシア国民。
──朝鮮人というエスニシティは、ロシアでの生活にどう影響しましたか?
わたしの家族には、朝鮮人であることで苦労したひとはひとりもいなかった。でも、わたしの場合は(朝鮮とタジキスタンの)ふたつのカルチャーに触れながらロシアで生活していたから、状況は少し違う。ロシアの学校は決して受容的とはいえなくて、子どもっぽい悪口を言われることもあった。その頃はなぜ自分がこんなふうで、こんな見た目で、黒髪なのかわからなかった。幼稚園でパンをもらって、「お米はどこ?」と訊いたこともある。みんなこの話が大好きで面白おかしく話すけど、あのときは正直、なぜ自分が普段食べているものがもらえないのか理解できなかった。
──自分のアイデンティティをどのように説明しますか?
わたしはロシヤンカ(ロシア連邦の国籍を持つひと)。それは市民権のことだけじゃない。自分はロシアの文化に馴染んでいると思うから。でも、エスニシティやいわゆる国籍に関しては、なかなか説明が難しい。わたしは半分朝鮮人で半分タジク人。アイデンティティについてじっくり考えているけれど、ひとつの答えは見つからない。でも、それが問題だとは思わない。アイデンティティに関する質問は、仲間うちでは出てこない。新しく知り合ったひとに訊かれることはあるけどね。そういうときに自分は周りとは違うんだと気づかされる。
i-D Magazine – VICEから
マリオくんの髪の色は、ほんと?👀 すごい💦
撮影監督なんだね~ いずれは、そちらの朝鮮人の記録映画でも作ってくれたらいいのに
アンナちゃんは、美人💕 お茶したいな~😊
戦争が落ち着いたら、会いに行ってみよっかな~ ロシア👍 なんちゃって~