新宿から伊勢丹方向に歩き、伊勢丹を抜け道路を渡ってしばらく歩くと花園神社がある。 その裏手には新宿ゴールデン街と呼ばれる2000坪ほどの狭い区画に低層の木造の長屋が密集している。
ちょうど花園神社の西向かいにあり、かつては文壇バーなど個性豊かな店も多く、著名な作家や編集者、俳優などが多く集まることで知られていた。
新宿ゴールデン街の起源は、戦争の末期の混乱期にできた闇市を端緒にするという。当時私のハルモニは、日本の敗戦後、新宿の東口の「新宿マーケット」と呼ばれる闇市で、もつ鍋の商売をしていた。
のちに新宿マーケットは「竜宮マート」と呼ばれるようになったが、東京都と警視庁は闇市の撤廃を掲げ、闇市の各店舗は代替地として新宿区三光町の一帯に移転することになったそうだ。この一帯が後に「新宿ゴールデン街」と呼ばれるようになる。
ハラボジとハルモニの間には、オモニを含め6人の子供がいて、その長女は私のオモニになるのだが、下の子供たちはちょうど高校や中学の多感な時期に差し掛かり、このままでは日本で子供たちをまともな人間に育てられないと思ったハルモニは、1959年に帰国船が開かれると帰国を決意、第4次船で北朝鮮へと渡った。
オモニはちょうど、私をお腹の中に宿して身重だったために、帰国を伸ばしたそうだ。北朝鮮で生活が落ち着いたら呼び寄せるので、とりあえずハルモニと子供だけが先陣を切って帰国し、落ち着いたら後で来るようにと約束し、旅だったそうだ。 もし私がお腹の中にいなければ、きっと一緒に帰国していたに違いない。
ハルモニの帰国後、新宿ゴールデン街にあった自宅は、帰国しなかったハラボジと、ハラボジのお妾さんの住居兼飲み屋へと変わった。幼い頃はそんな経緯を知らず、一緒に暮らしているお妾さんをハルモニと呼んで、オモニにこっぴどく怒られた。
そんな新宿ゴールデン街だが、今でもそこに入ると何か独特の匂いがする。当時は「よろめき横丁」と言われた一体のほとんどの店が、飲食店の名目で「赤線」まがいの営業をしていたという。風俗営業法の許可を取らないもぐり営業のため、この一帯は「青線」と呼ばれた。
1980年代に入るとバブル景気により、日本の地価が急騰、新宿ゴールデン街においても再開発の噂が囁かれるようになった。 そして土地の買い占めを狙う地上げ屋が出没し、この一帯は激しい地上げにさらされることになる。
バブルの崩壊により地上げは終わったが、一時はゴーストタウンのような様になったこの界隈も、近年はインフラの整備などにより、活気を取り戻しているみたいだ。しかし何か怪しげな雰囲気は今でも健在だ。
怖くて近づけない雰囲気があって、一度もここで飲んだことは無い👀
投稿者さんのハルモニがここで商売していたんですか?じゃ~第7かな?
でも、その帰国の話は、在日ではあるある話ですよね~💦このことでばらばらになった家族、何人か知ってます💦
ゴールデン街には並々ならぬ思い出があります🤣
全体の写真は見たことが無いので釘付けになりました🤣
勤めていた朝銀がゴールデン街の中にあったので、ゴールデン街は毎日の通勤路でした。一番楽しい朝銀時代だったので、文豪や俳優達とは違った思い出があります🤣
それにしても、ここで暮らしていた在日の方がいらっしゃったとは驚きです。成り立ちからしたら他にもたくさんいらっしゃったのかもしれませんね。