1976年から日本の高校サッカー選手権大会が首都圏に移り、大会がテレビ放映されるなど、70年代は日本の高校サッカーのレベルが高まった時期でしたが、朝高サッカー部の水準は依然として全国高校サッカーのトップレベルでした。
1975年第1回朝鮮高級学校ラグビー中央大会が大阪で行われるのを機に、「ラグビー部」も正式に発足します。
創部メンバーは金日浩(初代主将)、高秀元、申東実、李誠、李在旭、文進植、尹弼運(26期)、金徳昌、呉英宗、文済銀、洪誠根、宋邦哲、申保益、朴京富、朴昌薫、洪亮洙、徐大成(27期)、洪昌宏、高明栄、梁錫俊、姜済東、兪晶、朴圓実、李成哲、梁俊範、趙星一、宋英司、金哲司、陳明洙(28期)でありました。
当時高校2年生であった姜容徳、李泰英(26期)は同級生や下級生に呼びかけ、体育館入り口前の赤レンガ上で練習を始めます。姜容徳と李泰英は目白にあった米倉ジムでボクシングの練習をしており「朝高にボクシング部を創ろう」と学生たちに呼びかけたのがボクシング部の始まりです。
1975年4月にボクシング部が創部されます。