1947年5月2日に在日朝鮮人を管理する目的の外国人登録令が公布され、サンフランシスコ条約発効後(1952年4月)には外国人登録法となった。
在日にはこの外登証の常時携帯義務があり、違反者には重い罰則があった。また14歳以上には指紋押捺制度(1982年16歳以上に変更)があり、3年に1回、両手の10指すべての指紋を採取された。
1980年9月、東京に住む韓宗碩さんは外国人登録法に定められた指紋押捺を「屈辱の烙印」だと拒否した。それは当初「たった一人の反乱」と呼ばれた。その後、若い世代を中心の輪が広がり、日本人をも巻き込んだ80年代の市民運動に発展した。
運動の高まりに対し、法務省は法律違反という建前から「逮捕」「再入国不許可」「在留不許可」などの弾圧を行った。
民団は1983年9月から100万人署名運動を繰り広げ、181万7000人の署名を集めた。
1985年には指紋押捺の拒否・留保者が1万人を越えるほど運動の裾野は広がり、日本政府は黒インクを水溶液にし、押捺を生涯1回限りにするなど、小手先の「改正」で矛先をかわそうとした。そして2000年4月、ついに外国人登録法の指紋押捺は全面撤廃された。
べっとり指紋を取られた記憶がありますよね~💦
次第に、透明な台に指を載せるようになり、最終的に撤廃~👍
あああ~ 良かった~🤔 なんか犯罪者みたいでしたもん~💦
一番上の外登を持ってた時、千円札をはさんで、財布がわりにしてました~😢