解放後、多くの朝鮮人が祖国に引揚げたが、その一方で、持ち帰り財産の制限(1人1000円、荷物150ポンド)や不安定な朝鮮の社会情勢のために、約70万人が引き続き日本にとどまった。戦後「在日」の始まりである。
戦争の終結に伴う軍需産業の停止、海外の日本人の引揚げなどによって、在日朝鮮人の大部分が職を失い、たちまち生活難に陥った。
だが解放後の在日は貧しいが希望に燃えていた。1946年の解放一周年を祝う束の間の明るく自由閣達な表情は印象的だ。
やがて米ソ両国の分断占領の祖国の状況を反映し、朝聯と民団の二つの組織が出現する。当時発行された宣伝機関紙誌『民衆新聞』『解放新聞』『民団新聞』『自由朝鮮』『民主朝鮮』など、一般紙として『国際タイムス』『国際新聞』などもあり、在日史研究に不可欠の資料である。
差別と偏見の目にさらされながら、民族の伝統を伝え祖国愛を発揮し、固有の存在であろうとしたのが戦後の在日である。紡がれる歴史は戦前とはちがう。亡国の民ではなく韓国であれ、朝鮮であれ独立国家の海外国民・公民の誇りと自覚があった。
生活権をめぐって、日本社会との厳しい対決が連続する。
ナショナリズムのレッテルを貼るのはたやすいが、祖国への貢献、地域との共生を目指して生きた人びとの生きざまの写真はそれを越えて胸を打つ。
全国津々浦々に大勢の同胞が渡って来たんですね~😊
帰国しようにも、開発が遅れている古郷では食べて行けず、しかも、戦時中にコツコツと貯めた財産も持って帰ることも制限されちゃったら、日本で頑張るしかないですもんね💦 そのたくましい力の結集があって、今の28も、子供・孫たちも異国で生活しているということを、しみじみ思い出される写真ですね😘 貴重な資料ですね~
目にすることが出来て幸せです💖 ありがとうございます。
こういう写真をブログで見れるのがいい。先人たちが歩んで来た足跡を辿る企画、良いですね👍