1830年代、清朝はアヘンのまん延防止に苦しんでいました。時の皇帝・道光帝は、アヘン対策についての意見を広く求めました。その中で地方長官の林則徐の意見書に道光帝は注目しました。
林則徐は紫禁城で皇帝とアヘン対策について話し合います。道光帝は林則徐が気に入り、話し合いは8日間続きました。最初は徒歩で入城していたのが、次には乗馬を許され、最後には八人で担ぐ御輿という待遇でした。
宮中は大騒ぎ。林則徐とは、何者かと?
欽差大臣(臨時大臣)を拝命した林則徐は、アヘン撲滅の為に広州へ向かいます。まずはイギリス商人に対して、アヘンを差しだすよう迫ります。イギリスの代表エリオットは、少しだけアヘンを供出して、あとはうやむやにしようと考えました。しかし、林則徐は事前にアヘンの消費量や取引量を計算していました。
結局、沖合に隠してあったアヘンを全部差し出させました。さらに彼は、アヘンの処分方法も研究していました。処分しても有害物質がでず、麻薬成分も残さない方法、塩と石灰で処理をしたのです。
イギリス本国に、林則徐によるアヘン没収のニュースが伝わります。議会では、自由党のグラッドストンが「中国にはアヘン貿易を止める権利がある、これぼど不正で恥さらしな戦争は、かつて聞いたことがない。」と演説します。
しかし投票の結果は、開戦賛成が僅かに上回りました。その間、林則徐は広州周辺の漁民を民兵に組織して軍事訓練し、要所要所に砲台を築き戦争に備えて防備を固めました。
イギリス軍は、林則徐によって広州周辺の防備が固められていると知ると、北上し北京に向かいます。イギリス艦隊接近に恐れおののく宮中。道光帝は林則徐を解任し、設置した砲台も撤去します。世界の富の三分の一が集まっていたとされる大帝国が、音を立てて崩壊していく瞬間です。
国家とは、かくも脆く衰退するものなのか。
梯子を外された林則徐は、僻地(イリ地方ウイグル)に左遷されますが、腐ることなく行政官として民衆から慕われました。そして広州で収集した欧州列強の情報をまとめて「海国図志」を著します。幕末の日本の志士は、本書を熟読し、来たるべき嵐(黒船来航)に備えたのです。
英雄惜しむべし。
【歴史】オマハの賢人ーウォーレン・バフェット 【歴史】近代の終焉か? 【歴史】始皇帝に愛された悲運の思想家ー韓非子
アヘン戦争は歴史の時間に習いましたが、林則徐という人物はウリハッキョでは教えてもらえませんでしたね(笑)。あの当時は歴史といえば「金元帥の革命歴史」がメインだったので…。
こういう企画も良いですね。歴史上の人物紹介は今でも学ぶことが多いです。
昔から、イギリスは嫌いな国です~
大義名分を掲げて、他国を食いつぶしていく~😢
植民地政策ってなんだよ~💦 自分の国で繁栄していきゃ良いじゃんよ~
嫌いだな~ イギリス🤦♂️
次回は、英国がどのように大帝国(パクス・ブリタニカ)の道を歩んだかについて投稿したいと思います。
アヘン戦争とはよく聞きましたがその詳細は知らぬまま。勉強になりますね。
俺の勉強不足か、俺が知らないだけなのか、なぜかウリナラにはこういう歴史的な人物が出てこないとおもうんだよね。いたら是非投稿をお願いします🙋♂️
私たちが習ったウリナラの有名人。
리수복영웅、강호영영웅は小学校で耳にタコ🐙が出来るほど習ったね。
どちらも朝鮮戦争の英雄。近代だね。
安重根!👍
あと三回くらい読みます。
検索すれば良いんだけど、
名前等にフリガナをつけてください。