これまで見ることができなかった新しい日時計が発見された。韓国文化財庁と国外所在文化財財団は18日、米国での競売で発見されて国内に戻った朝鮮末期の地球儀型の小型日時計「日影円球」を公開した。
日影円球は「丸い球形の日時計」という意味だ。高さ23.8センチ、重さ1.3キロのこの時計の上部には直径11.2センチの銅で作られた球が付いている。この球の表面には縦横5ミリの大きさの文字で十二支が2行で刻み込まれ、96刻(一日を96等分)を表記した縦線で時間を読み取れるようにしている。受け台に船が銀で彫られていて、支持台の角度を調節して南半球でも使用できるようした点からみて、航海に使用された可能性が高い。
日影円球には基準針の影で時間を測定する「仰釜日グ」(朝鮮時代の代表的な日時計)方式に加え、水時計の自撃漏(朝鮮時代に使用された自動時報装置)のように定時を漢字で表記する機械式時間測定方式が共に入っている。表面の縦線96刻で一日の時間を、横線13本は一年の節気を表現するものと推定される。
日影円球の科学的価値と原理を分析した忠北大のイ・ヨンサム名誉教授は「国内では球形の日時計が報告されたことがなく、西洋には丸い形態の日時計があったりするが、単純な機能だけがついている」とし「携帯が可能な小型にしたうえ、緯度の調整も可能で、南半球をはじめどこででも正確な時間を確認でき、伝統的な自撃漏・渾天儀の原理を加えた貴重な科学遺物」と説明した。また「十二支時間を表示する時牌はデジタル方式、影で時間を測定するのはアナログ方式だが、小型ながらもデジタルとアナログともに見ることができるおもしろい作品」と話した。
日影円球はこれまで学界どこにも報告されず、記録もない形態の時計だ。国外所在文化財財団は昨年10月、初めて日影円球の存在を知った後、韓国の遺物かどうか、どんな用途で使用されたのかなどを把握するために、5カ月以上も文献調査をし、専門家に諮問した。
◆球の本体には「大朝鮮499年」刻印
記録に存在しない機器の実体を把握するのには、銅の球形の本体に刻まれている漢字「大朝鮮開国四百九十九年庚寅七月上澣新製尚稷鉉印」が決定的なヒントになった。国外所在文化財財団のカン・ヘスン流通調査部長は「製作者と製作時期が書かれた文字があり、調査に大きく役立った」と伝えた。製作時期(1890年)と製作者(尚稷鉉)を特定したことで、文献調査を通じて遺物の妥当性を検証することができた。
日影円球の製作者「尚稷鉉」は1881年に日本修信使別軍官として派遣された朝鮮末期の武臣だ。1880-1900年代初めまで官職を務めた記録があり、日影円球の製作時期とも一致する。
尚稷鉉の息子の尚ウンは1881年に清国領選使として派遣され、我が国に最初に電話機を導入した人物で、一家が科学に関心があったとみられる。カン・ヘスン部長は「金属を叩いて製作するのは技術者に任せたとしても、機器を考案した製作責任者として自身の名前を刻んだとみられる」とし「外来文物を早期に受け入れ、技術に明るく関心が多い一家という背景も、日影円球の製作者という推定の妥当性を高める」と説明した。従来の日時計は基準針が固定されていて一地点だけで正確な時間測定が可能だったが、日影円球は場所によって緯度と方位さえ合わせればどこでも正確な測定が可能だ。
◆19日から国立古宮博物館で公開
日影円球が国外に出て行った経緯は把握されていない。ただ、1940年代に日本に駐留した米軍将校がこれを購入し、この将校の死後に遺族から日影円球を買い取った米国の収集家が競売に出したことが分かった。これを国外所在文化財財団が3月23日に落札し、5月20日に国内に持ち帰った。この競売会社によると、購入金額は6万8750ドル(約9000万ウォン、約924万円)という。
日影円球は国立古宮博物館で開催されている「国外文化財の旅程」展示で19日から公開される。日時計仰釜日グの隣で観客を迎える。
記事は中央日報 日本語版から引用
仁寺洞の地中から金属活字が出てきた
貴重な遺品ですね👍 それが、なんで米国に渡ったのかな? ドロボウ野郎〜😅
その当時の携帯用時計ですか⏱
いまのiPhoneみたいな感覚で使っていたのかな(笑)