先日、朝鮮八景について渡航しましたが、今回から、ウリナラ各地の八景を訪ねて見ようと思います。
最初に「 관동팔경(関東八景)」を紹介しようと思います。 関東八景とは、ウリナラのむかしの関東地方(朝鮮八道のうち江原道の太白山脈東側)にある景勝地から、8ヶ所の名勝地を選び、それらを総称したものです。
「関東八景」に数えられる名勝地は、次の通りだ。
清澗亭は、雪岳山の渓谷から始まった清澗江の水流が東海と出会う奇岩の崖の上に建てられた。1502年には記録に残っているので、それ以前に建てられたと推測される。1884年甲申政変に消失、1928年に再建され、1980年に復元された。
ここから眺める景色はとてもすばらしく、青々と茂った松林の間から見える白い砂浜や、終わりが見えない地平線と青い空に白い雲、そして漁船に群がうカモメの群れなど…。
満月の月明かりが浮かぶ清澗亭の姿まで想像すると、また違った風景が想像できる。
韓国の東海岸、江原道・江陵市の北東部にある段丘上の楼台である。
高麗時代に建てられ、眼下の鏡浦湖とともに関東八景の一つに数えられる。鏡浦湖と砂丘の松林、東海に浮かぶ白島などが、中秋の名月なども加わって絶景をなす。
鏡浦湖は後氷期の海面上昇によってできた湾入の入口を砂州がふさいで出来た湖で、付近の丘陵地からの土砂で埋め立てられつつある。
海岸の砂浜を利用した海水浴場は全国的に有名で、夏は多くの観光客が訪れる。
東海岸の江原道高城郡にある周囲6.5㎞の湖だ。
湖の北側には36峰ほどの低い頂があり、北西には三日浦金剛門と呼ばれる石門が、また南東には金剛山の海金剛が望まれる。
湖の中ほどに青松の茂る臥牛島が浮かび、その付近に四仙亭址、舞仙台などの遺跡がある。周辺の峰々が鏡のような水面に映える湖の眺めは見事である。
昔ある王が日帰りの予定で遊びに来たが、その絶景に魅せられて3日間もとどまったというのが、三日浦の名の由来だという。
江原道三陟の「竹西楼」は、朝鮮時代前期に作られた。名前の由来については二つの説があり、ひとつはかつて楼閣の東側の竹林に竹蔵寺という寺があったためというものであり、もうひとつは有名な妓生であった竹竹仙女がいた家が楼閣の東側にあったためというものだ。
朝鮮時代には接待と饗宴の場として使われたが、その建物は雄壮であり、優美な自然景観が周囲を取り巻いていたので、数多くの文人や詩人、画家がここを訪ねたそうだ。
断崖絶壁の上に建てられている竹西楼に登ると、目の前を流れる五十川を見下ろすことができる。すばらしい展望を得るために、楼閣は岩盤を基礎にして、17本の柱で楼閣全体を支えている。17本のうち9本は岩盤の上に、8本は石楚の上に立てられているが、柱の長さがそれぞれ違っている。
入口には、樹齢350年の槐(エンジュ)の木が横たわり、中に入ると木蓮や竹林が広がり、夏には草木が香るそうだ。
江原道の東海岸の街、襄陽を代表する観光名所として知られるのが洛山寺。
新羅時代の671年に、高名な僧侶・義湘によって創建された、歴史ある名刹である。
山間部に多い韓国の寺院の中では珍しく、海沿いの高台に位置しているため、境内からは美しい東海を眺めることができる。
特徴としては、最も高いところには海水観音像があり、寺院自体が韓国33観音聖地の1箇所に指定されているほか、海の崖の上にある義湘台や紅蓮庵は、日の出の名所としても知られている。
蔚珍の望洋海水浴場近くの丘に位置している望洋亭。
辺りの風景は詩や絵画で多く描かれ、その美しさがうかがえる。朝鮮王朝の第19代王である粛宗が、関東八景の絵画を見てここを気に入り、「関東第一楼」という文を書いて送り、望洋亭に飾るように言ったと伝えられている。
高麗時代の望洋亭は、望洋里にある県鐘山にあったが、1858年に現在の場所へ移され、1958年に修繕された。
周りを松林に囲まれた丘の下には白い砂浜があり、王避川が海に向かって流れ、望洋亭からは広い海が一望できる。
王避川という名前も、ここに王が避難してきたからだとも言われているが、避暑の地として王が訪れていた場所であったからとも伝えられている。
江原道通川にある、海辺の名勝地だ。
火山の作用を受け、また長い歳月に雨雪に洗われ、1㎞ほどの区間に6角・8角の玄武岩の石柱が群がり立っていて「叢石亭」の名がついた。その形態によって立叢、座叢、臥叢の3種に分かれている。
なかでも4本の石柱が集まってそそり立つ高さ数十mの立叢は、巨大な玉を縦に割って立てたような趣で、昔4人の神仙がその頂上で遊んだという伝説を残して四仙峰と呼ばれている。
叢石亭の日の出、青い海に高々と立ち壮観を呈する石柱、岩間に根を張って立つ青松、それに銀色の月光に染まる夜景は恍惚そのものである。
越松亭は慶尚北道・蔚津に位置し、関東八景の一つに数えられた。
高麗時代の時に初めて作られた建物は、記録によると、新羅時代の四人の花婿の遊覧地だったという。
月松亭の名称は、月光と似合う松林という意味(月松を間違って表記)に由来したという説と、神仙が松林を飛び越えるという意味(越松)に由来したという二つの説がある。
江原道通川にある侍中湖と、その湖を見下ろす侍中台も名勝地である。
湖畔には松林が茂り、さざ波が立つ澄んだ自然湖の風致と、湖に浮かぶ7つの島(七宝)は秀麗で、とりわけ月夜の景色はいっそう情趣に富んでいる。
また侍中湖は、薬効のあるとされる泥の療治場としても知られている。
以上「関東八景」をみてきたが、よく見ると8つではなく9つ紹介されていると気づくはずだ。越松亭の代わりに、歙谷の侍中台(흡곡의 시중대)を入れることがあるので9つを紹介しました。
このうち、叢石亭・侍中台・三日浦が北朝鮮側の統治範囲にあり、残りが韓国側の統治範囲にある。「関東」はもともと江原道の東海沿岸部を指していたが、朝鮮戦争後に行政区画の変更が行われたため、望洋亭・越松亭がある蔚珍郡は慶尚北道に所属している。
海や湖が織り成す白砂青松の景観や、山の風景が愛され、多くの伝説や歌謡や詩が生み出された。とくに、叢石亭・三日浦・洛山寺がうたわれた安軸『関東別曲』(高麗末期)や、関東八景と金剛山一帯の山水の美しさを描写した鄭澈『関東別曲』(朝鮮王朝期)が有名である。
次回は「関西八景」について紹介します。
もう、盛りだくさん😅
スマホで動画を見てたら、疲れちゃった💦
でも、綺麗な名勝地が韓国にもいっぱいあるってことは、分かりました😊 一景づつ紹介してくれれば良いのに😂