ポケットにすべり込ませた「単三電池」。ミヌはポケットの中の電池を強く握りしめていた。小さな心臓は「ドックン、ドックン」と音を立てた。激しい鼓動が本人にまで聞こえてきそうだ。オモニは目当ての電球が見つからないのか、まだ商品棚の前を右往左往している。
ミヌは心の底にあった欲望を満たした達成感と、「してはいけないこと」をしてしまった罪悪感とが入り混じり複雑な心境でいた。ただ、これでまた「28号」が「生き返る」と思ったらほんの少し喜びのほうが勝っていた。
電球と食料品をひととおり買い終えて百貨店を出た頃には、もう日は沈み薄暗くなっていた。大きな神社をすり抜けて駅へと歩くオモニとミヌ。買い物袋で両手がふさがっているオモニはミヌの少し前を歩いていた。後ろ姿のオモニを確認したミヌは無意識におカネを払わずに持ってきた単三電池をポケットから取り出して眺めた。
その時、おもむろにオモニが後ろをふり向いた。そして目と目が合った。ミヌはとっさに持っていた電池をポケットに戻したが、時すでに遅し。オモニはミヌが持っていた電池を確認したあと「ミヌ!その電池どうしたの!?」強い口調だった。ミヌは何も答えないまま下を向いた。がオモニの目を見ずに下を向くその姿がすでに答えになっていた。
オモニは買い物袋を片手に持ちかえ、そのままミヌの右手を「ぎゅっ」と強く握り、きびすを返して百貨店へとミヌを連れて戻った。オモニはミヌが持ってた電池を握りしめたまま何も喋らなかった。
そんなオモニの姿を見て、初めて自分がとんでもない事をしたのだと気づいたミヌ、泣きたいのになぜか涙が出てこない。百貨店に戻ったオモニは単三電池の支払いをレジで済ませて帰りの駅へと向かった。歩く速度はミヌの歩幅に合わせることなく速かった。電車の中でもオモニは何も喋らなかった。
車窓に映るオモニの顔を見た。口を一文字に閉じたまま、暗がりで見えるはずのない車窓の向こう側を見つめているようだった。息子が「万引き」をしたことが情けないのか、それとも電池も買ってあげられなかった自分が悔しいのか。幼いミヌにはオモニの気持ちが分かるはずもなかった…。
家に着いてもオモニは電池のことはなにも喋らなかった。今思えばもっと激しく怒り殴ってくれてたほうが楽ではなかったか。とも思う。翌日、オモニは初めて電池の一件をなだめるように話してくれた。あの時オモニがどんな話をしたのか、今では覚えていない。ただ、オモニに悲しい思いをさせたということだけははっきりと覚えている。
もしオモニが生きていたら 聞いてみたい 。「オモニ、百貨店での電池事件覚えてる?半世紀以上前の・・・」おそらくオモニはこうつぶやくだろう。「そんなこともあったかねぇ」
その後、新しい電池を入れた「28号」が「グァオオーーーッ!!」と雄たけびをあげても、それはむなしい泣き声にしか聞こえなかった。しばらくそんな思いにふけっていると「使い終えた電池はベランダのごみ箱だからね」とスニの声で現実に戻された。「しっかりしてよね」の余計なひと言も忘れない。
使い終えた電池をベランダのごみ箱に捨てながら空を見上げると、さっきまで残っていたひこうき雲は青空に溶けてなくなっていた。一点の曇りもない青空を眺めながらミヌは叫ぶように「グァオオーーーッ!」と28号の雄たけびをあげた。部屋の中からスニがけげんな表情でミヌを見たあと「プッ」と笑うのが見えた。
(おわり)
幼い頃のミヌの心、半世紀以上経っても忘れずにいる事。ヒコーキ雲、空の上に問いかける。
とっても感慨深く拝見しました。