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今日「李鶴来 不条理と闘った男」が放映されます

1925年、全羅南道宝城郡生まれの李鶴来さんは、17歳のとき、日本軍軍属である捕虜監視員の募集に応じ、タイで泰緬鉄道建設のため使役された捕虜の監視にあたります。戦後、シンガポールで連合国が開いたBC級戦犯裁判で「日本人戦犯」として死刑判決を受けます。のち20年に減刑され、東京に移されて、1956年に仮釈放されました。

戦犯仲間らでつくったタクシー会社を都内で経営しながら「日本人」として罪を負わされ、援護と補償は「外国人」として一切切り捨てられたことから、1955年、同じ境遇の韓国・朝鮮人元BC級戦犯者とともに「同進会」を結成します。

以降一貫して日本政府の謝罪と補償を求め、闘い続けた李鶴来さんは、日本政府に補償や謝罪を求めて訴訟を起こしましたが、1999年最高裁で敗訴が確定します。

韓国政府は2006年、「日本の協力者」としてきた李らBC級戦犯を「植民地支配の被害者」と認め、名誉を回復しますが、今年3月24日に自宅内で転倒して頭を打ち、足を骨折。病院に緊急搬送され28日、外傷性くも膜下出血のため東京都内で死去しました。享年96歳でした。

「都合の良い時は日本人 都合の悪いときは朝鮮人」
李鶴来さんの残した言葉です。自ら味わった不条理を見事に表した言葉だと思います。

今日は8月15日。TBSテレビ 深夜0時58分から1時58分まで、ドキュメンタリー「解放区」で「李鶴来(イ・ハンネ) 不条理と闘った男」が放映されます。是非、李鶴来さんの戦いの軌跡を振り返ってみてください。

4 COMMENTS

見ます👀

情報ありがとうございます~👍
見ます~ 必ず見ます~👀
しかし、大変な時代ですよね💦 自分なら~ と置き換えて考えますが…
まず、耐えられない💦

情報サンキュー

録画予約しました。ゆっくり観てみます。

同胞。

見ました。でも、正視できませんでした💦
大変な一生を送られてきたのですね。見てて、私も無性に悔しくなりました。
「都合のいい時は~ 都合の悪い時は~」💦
日本人のずるさを如実に表していますね。今の現役の政治家も同類でしょうね。
本人は戦い続けて、半ばにして倒られましたが、遺族もいれば、我々同胞もいます。
脈々と語り継がなければならない命題ですね。多くの人に知ってもらいたいです。
安らかにお眠りください。
合掌

巣鴨プリズン

「朝鮮人BC級戦犯」の戦後補償は第一義的に日本に責任があります.しかし同胞である朝鮮人・韓国人もかれらに手を差しのべたとは言えません.このことも忘れるべきではないと思います.

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