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在日同胞と日本人が共生する町にー洪性翊

まず、洪性翊さんの略歴を紹介しよう。

1956年大阪市生野区の旧猪飼野で生まれ育った洪性翊(ホン・ソンイク)さんは、大阪の朝鮮初級、中級、高級学校、朝鮮大学師範教育部美術科を卒業し、教員生活を経て、大阪市立美術研究所を修了。

87年に「外国」籍作家では初めて太平洋美術展で太平洋美術会賞を受賞し、88年文部大臣賞を受賞、89年には韓国ソウル市のロッテミュージアムに招聘され個展を開催。98年~2007年(株)徳山物産の社長に就任し、引退。

現在は一般社団法人「大阪コリアタウン」の理事長に就任し精力的に活動している。

絵画制作は99年に断念したが、2008年から20年の沈黙を破り再開しているという華々しい経歴の持ち主だ。

大阪鶴橋徳山冷麺

徳山物産と言えば、トックや冷麺など一度は食べたことはあると思うが、昨年、日本最大級のコリアタウンである大阪市生野区の鶴橋駅に近い、商店街の店主たちが集まり、一般社団法人「大阪コリアタウン」を設立した。

ここで生まれ育ち、初代理事長を務める洪性翊さんは「日本による植民地支配時代から、貧困と差別の象徴だったコリアタウンが、いまや日本各地から観光客が押し寄せる名所になった。在日同胞と日本人が共生する町にすることが目標」と語る。

定番の徳山物産のトック

猪飼野コリアタウンとも呼ばれるこの一帯は、週末になると日本各地から8000人から1万人余りの韓流ファンが足を運ぶ。

韓国コスメや韓流スターのグッズ、韓国食品などを買い込み、韓国グルメを味わう。2021年の来訪者は100万人を超えた。

徳山物産のHPから

洪さんは「植民地時代に朝鮮から渡ってきた同胞が集まり、貧しさの中で暮らしていた場所が『朝鮮市場』と呼ばれるようになったのがコリアタウンのはじまりだ」と説明する。

戦後の経済成長の中、商店街も大きく発展したが、その後は商店主たちの高齢化などもあって衰退の一途をたどった。

だが、1988年のソウル五輪と2002年のサッカーワールドカップ韓日共催で息を吹き返し、さらに韓流ブームに乗って注目を集めるようになった。

コリアタウン内のアトリエで

日本の韓流ファンは、韓国ムードを味わおうと週末や連休にコリアタウンを訪れている。地元の市民団体の調査では、来訪客の8割を10~20代の日本人女性が占めていることが分かった。

기원(대화) 1987年作

こうした中、三つの商店街の統合組織として昨年、社団法人の大阪コリアタウンを発足した。洪さんによると、統合の話は20年ほど前から出ていたが、商店街にはそれぞれ特色があるため一つにまとめるのが難しかった。

ところが、アイドルグループの活躍やドラマ、映画人気などによる第3・4次韓流ブームで、韓流ファンの観光客向けの営業が活性化し、統合の機運が盛り上がったという。

평화 1985年作

観光客の食べ残しの片付けや公衆トイレ設置などが急務になったことも背景にある。韓国政府や大阪民団、地元住民の支援により、コリアタウン内の公園に公衆トイレが設置された。社団法人化はトイレや防犯カメラなど公共財産の管理運営の効率化にもつながる。

洪さんは「在日同胞の歴史を伝え、韓国と日本間の親善交流の場になるよう、コリアタウンの活性化を引っ張っていく」と意気込む。これは在日同胞と日本人の「共生」を願い続けた父親の遺志を継ぐことでもある。

洪さんの父親は「徳山物産」を起こし、韓国食材を日本各地の食料品店に卸した。

大阪コリアタウンはまず、このコリアタウンを周知するためのイベントとキャンペーンに取り組む。

また、在日同胞の歴史を伝える「コリアタウン資料館」をつくり、在日コリアンの次の世代にアイデンティティーを持たせ、地元の人たちにとっては多文化共生の象徴になるようなプログラムを運営する計画だ。

洪さんは「商店の連合によって商売を繁盛させることも重要だが、差別を乗り越えて共に生きていく道を模索してきた在日同胞の歴史を知ってもらうこともおろそかにしない」と語った。

4 COMMENTS

日韓朝〜皆仲良し😍

あの徳山でしょう〜?🤭🤭
大阪コリアンタウンから、新たな風が吹きそうな予感🥰

大阪ベイブルース

若い頃に何度か飲みに行き絵画、芸術を語り合った。バイタリティに溢れ頼もしい先輩。今も枯れる事なく躍動する姿を見ると学ぶ事が多い先輩だ。

南陽

徳山物産。もちろん知っているけど、関西じゃ物凄く有名なんでしょうね。

画の事はわからないけど、赤いチマにセットンチョゴリを着た小さい子が背景の茶色に映えてすごく可愛い。

徳山物産営業部

韓国食品、モランボンもいいけど徳山物産も美味しいよ❣️

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