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富士山 3

山小屋の寝所は板間の押入れみたいな空間に布団が敷かれていて、境界もなく壁側に頭を向け毛布をかぶる雑魚寝であった。私は目ざとく最奥の場所を確保し娘をもぐり込ませ、彼女を塞ぐように隣に背を向けて毛布にくるまった。

しかし、とても寝られたもんじゃない。密室にこもる人いきれ、カビ臭い臭気、寝返りもできない狭い寝床はウトウトする間もなくイライラ感が募るばかりであった。枕の上にひじ枕をし横向きに寝ている娘はコトリともしない。その背中は私との関わりを拒んでいるようだ。朝から私の問いかけに気のない返事で返すばかりの態度が気に障る。

それやこれやで間が持たず、私は何度も寝所を抜け出し外でタバコを吸った。空いっぱいに輝く星ぼし、ウネウネと波打つ山々の黒い影、宝石を散りばめたような吉田市街地の灯明が私を癒してくれる。

(本当に来てよかった)

結局私は一睡もできず出発時間を迎えてしまった。

午前零時半、山小屋から山頂までの登山路が光の帯に照らされている。登山者たちのヘッドライトの光の流れだ。下からも続々と登ってくる人たちが前を通り過ぎてゆく。「ご来光」を目指す登山の頃合だからとしても、真夜中の標高3000mを越えた地点における登山客の多さに唖然となる。

登山者たちの流れが途切れたところで、ガイドは手招きしながらグループを登山路に組み入れていく。最後尾の私と目が合った時、彼はグループの先頭に立つべくそそくさと早足で行ってしまった。

岩盤とゴツゴツした岩場の急登が続く。しかし絶えず前が詰まるので、息が上がることもなく着実に高度を稼いでいける。見上げれば頂上まで続く光の道、そして降るような星空。振り返れば登ってきた道が後続のヘッドライトでくっきり浮かんでいる。彼方に山小屋が見え、その下にもヘッドライトの帯が続いている。

(人生50余年、私が歩んできた道もこのように輝いたものだろうか?)

不意にもそんな思いがよぎり、照れくさくなって思わず笑ってしまった。見えるもの全てが現実離れした幻想的な情景に魅入られ、「いよいよ富士山の頂上に立つんだ」みたいな高揚感に浸っていたせいかもしれない。

ここが九合目なのか急な斜面にポツンとたたずむ鳥居を潜ると階段状に整備された道に変わる。上を見るとヘッドライトの照明とは明らかに異なる純白の光が放たれていた。そこが山頂を示しているようで全体のピッチも上がったようだ。

(いよいよ山頂か?)

瞬間、私は思いも寄らない臭気に気付き愕然とした。その臭気は頂上に近づくほど増していく。標高3776m、そこは有史以来、人を寄せ付けない厳しい自然環境にさらされている。真夏の今でも気温は零下のはずだ。にもかかわらずこの場に一番そぐわない臭気。そう、人間の排泄物の匂いに包まれているのだ。足元を照らしゆっくり確認しながら登る足取りに反発するかのように頭の中はめまぐるしく動き回っていた。昼夜の別なく押し寄せる無数の登山者、その自然現象に対応しきれない現実、よくよく考えてみればそれは当たり前のことだ。富士山頂においては登山者のモラルと便意を我慢し続ける忍耐に期待するしか手がないと納得せざるを得ない。もしかしたら私自身もこの臭気の加担者になるかもしれないからだ。

しかし… どうも気持ちの整理が付かない。満天の星空もきらめく夜景も、もはやファンタスティックな気分にさせてくれるものではなかった。

さっきの鳥居に比べ重厚な品格を備えた鳥居を潜り高い石段を登りきると、そこが山頂であった。山小屋の広場にポツンと飲料自販機が立っている。純白の光芒の正体であった。

夢にまで見た富士山登頂の達成感が湧き起こらず、私は自分の気持ちをもてあましていた。むしろ虚脱感に襲われ、そのことに腹を立てていた。一気に疲労と寒さが押し寄せた。

吸い寄せられるように自販機に近づくと無性に熱い缶コーヒーが飲みたくなった。

「何か飲む?」
「全然 平気」

またしても素っ気なく返すのみ。しかし、その声音に便意を警戒する娘の緊張が読み取れ、私も我慢せざるを得なかった。その値段が500円だったことも輪をかけていたのだが。

山頂広場は登頂者たちでごった返していたし、続々と登ってきた人たちが合流し互いに身を寄せ合って「ご来光」を迎えるべく寒さをしのいでいる。

私たちは「ご来光」予定時刻までツアーが押さえた山小屋で待機した。足元から寒さがジワジワと忍び寄ってくる。身をピッチリ寄せ合い台座に座っているのだが、足踏みをしたり貧乏ゆすりをする者がほとんどだ。私は壁に貼りついているおそば、ラーメンなどの値札を何度もチラ見した。空腹ではなく寒さしのぎに温かい汁物を腹に収めたかったからだ。実際、ツアー参加者の何人かがそれらを注文し、湯気の立つ麺をフーフーすすっている。

「お腹すいてない?」
「全然 平気」

相変わらずの返事。

ひざを揃え、それに両手を乗せた端正な着座姿を崩すことなくジッと待機している娘。その我慢強さというか克己心というか…

(本当にしっかりしてるんだな~)感動ともつかない気持ちがよぎる。それに比べて自分の堪え性のなさを嘆きつつ、にもかかわらず対面を保とうとする父親の見栄なのか「アッパ、お腹すいたからそばを食べるね」

独り言のように呟いた。
コックリと頷くだけの娘。

800円のそばは薄っぺらなカマボコ、4カケラの青ネギが浮いたそばとつゆだけの代物であったが、芯まで冷えていた私の体をほぐしてくれた。しかし、私の傍らで姿勢を崩さない娘に後ろめたさを感じていた。

そばを食べ終え、まだ時間が余っていたので、一服しようと外に出た。日の出がよく見える場所は既に人が詰め列をなしている。ひと気のない場所を探すのに手間取り時間を食ってしまった。私が帰るのを待っていたかのようにガイドが下山について説明しだした。「ご来光」後、各自自由下山し午後1時までに五合目駐車場のツアーバスに集合との予定で日程表の中身を確認しただけだった。その時は8時間の下山時間は長すぎると思い、早めに着いてバスで仮眠できるぐらいに考えていたのだが…

2 COMMENTS

🗻🌠🍜

まだ足を踏み入れたことの無い私にとっては未知の世界🗻・・・読んでいて心から引き込まれていきます。山頂までの道のり、投稿者さんの素直な心の描写に感動まで覚えるのは私だけでしょうか。愛する娘さんを守るように横になるの山小屋での様子、頂上まで続くヘッドライトの光の道、降るような星空、そしてこの場にそぐわない臭気まで…まるで自分も一緒に登っているかのような錯覚陥ってしまいました。なによりどの家庭にもありそうな父娘の微妙な関係が微笑ましくて面白いですね。(わが家も娘が二人いるので…笑)アッパは温かい蕎麦を娘に一口食べさせたかっただろうなぁ~(^.^)その後の父娘の旅の続きが楽しみです(*^^*)🎶

富士登山経験者

富士登山、私も還暦になる前、昨年登ってきました。私の初富士登山は中学生の時、一人で五合目まで行って夕方から登ったんだけど、次の日大雨で下山。高校に入ってからは富士吉田の富士浅間神社から頂上まで登ったんだが疲労でクタクタでした、そしてもう二度と登らないと誓って40数年が経ちました。でも人生最後の富士山登山もありかなと思い昨年3度目の富士登山に行って来ました。富士山は富士宮口・御殿場口・須走口・吉田口と登山道は4つのルートがあります。近年は海外からの弾丸登山や、観光客が押し寄せているので個人的には吉田口ルートはお勧めできないかな~。去年は富士宮口から登りました。以前と違っていたのはやはり世界遺産を意識しているのでしょうか、綺麗になっている。トイレも、山小屋も。昔はトイレも最悪、寝床も最悪、料金も最悪でしたが、40数年前と比べて段違いにキレイになっていました。布団もちゃんとしたシュラフ付きでしたよ。あとは知っての通りシーズン中は車は5合目までは入れません。シャトルバスに乗り換えて五合目まで行かなければならない、それは覚悟の事。あとは何しろ外人が多いこと、そうそう私たちも外国人だった(笑)。一番多いのはやはり中国・台湾系?そして西洋と続きます。私が韓国であろう登山客と遭遇したのは2人だけでした。近年は弾丸登山の登山者が増えているので、まあ時間に余裕をもって一度チャレンジしてみるのもいいかな~。もう私は行きませんが…。

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