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富士山 5

下山道脇の空き地に馬が2頭並んで待機している。傍らの馬子が「乗馬料2万円」の札を掲げていた。その札を見た瞬間、私の胸は高鳴った。

(先ずは朝食だ)

タバコが吸える場所を抜け目なく探し座り込んだ。山小屋で支給されたおにぎりセットは梅と塩昆布2個にたくあん2切れ。娘からもらった水を飲み、おにぎりをほおばりながらも頭の中は絶えず自問自答していた。

2万円は痛いが財布にはそれ以上の金を持ち合わせていた。これから続くであろう足の痛みと格闘しながら下山することの対価だと思えば決して高いとは言えないはずだ。痛めた足の治療費だと思えば気楽じゃないか。しかし…

乗馬で下山すればきっと娘を追い越してしまうに違いない。その時、馬上の私を仰ぎ見る娘の瞳は何を語る?いや、それよりも私が娘の視線をまっすぐに見返すことができるのか?その自信はない。

目の前を若い男女が通り過ぎてゆく。男性に手を取られ下山する女性は足を引きずっていた。カップルなのか夫婦なのかは分からない。男が馬子に話しかけ、やがて女が男に支えられながら馬の背にまたがり馬子に引かれ下山してゆく。男は馬に寄り添い馬上の女に話しかけ女は笑顔を向けていた。

(残るは1頭だ。どうする?)

決断できない焦りとイライラを追いやろうと私は2本目のタバコに火を付け深く吸い込んだ。そして今では休憩時のルーティンになってしまったようにガイドを捜していた。

(ガイドはまだ下りてこないのか)

八合目までの通常の下山時間は大幅にロスしていた。私よりまだ上にいるとは到底思えない。もしかして私を無視してサッサと下ってしまったんじゃないのか?そんなことあり得る? …俺は一体何を考えてるんだ!)

愚にもつかない思考の堂々巡りをしながらイライラの矛先をガイドに向けている自分を私は嫌悪した。

(冷静になるんだ)

その間に、残る1頭が乗られたらそれは仕方がない。そう思うことが肝要だ。私は3本目のタバコに火を付けた。大きく吐いた紫煙が青空に吸い込まれるように拡散する。

ガイドを見つけて窮状を訴えれば問題が解決するのか? それはわがままな子供が泣きべそをかいて駄々をこねるのと何が違うんだ。結局は馬に乗るか、自分で歩くしか手がない。

(馬に乗れるのか?)

それを躊躇する気持ちは単に娘に対する父の威厳を示す問題だけではないはずだ。

そもそも足の痛みは年甲斐もなく富士山に浮かれ、その準備を怠りはしゃぎ過ぎた自分のせいじゃないか。それに目をつぶり馬に乗ることは逃げることだ。そのことは私の本性に関わる問題だ。

社会人となって30余年、縦割りの組織に揉まれて処世術を好まず追従やヨイショができないのが自分の性分だと自覚し、上司に盾突いてまでもマイペースを貫いてきたことに誇りを感じていた己ではなかったのか?そのことで生じた不都合をも自らの力で乗り越えまっすぐ歩いてきたことに自尊心を感じていたからではなかったのか。

(馬には乗れない!)

足がダメになっても自分の力で下り切るんだ。砂利道はもう終わったじゃないか。踏み込んだ足がのめり込んだりズレたりしないし、その度に感じた痛みも軽減されるに決まってる。傾斜も段々緩やかになるはずだ…

足元に4本の吸殻が散らばっていた。ポケットの携帯灰皿もパンパンに膨らんでいた。リュックから回収袋を取り出して、それに収めた。タバコ飲みの考えは同じらしく、そこここに吸殻が散らばっていた。それを広い集めリュックに収めると気分がスッキリした。

(自分の足で、最後まで)

私は心の中に安定したリズムを刻みながらゆっくりとした足取りで八合目を後にした。1頭になり寂しそうにたたずむ馬に目線を送ると、馬もジッと見つめ返してきた。

つま先のズキズキや膝頭のシクシクした痛みに慣れたのか、それを本能的に回避する歩き方が身についたのか、ひざ下全体がビリビリと感電したような感覚に襲われていたが、段差の踏み込みを慎重にしのげば激痛を覚えなくなっていた。

(足慣らしをしとけば… 登山靴を新調していれば…)

歩きながら後悔の念が後から後から湧き起こる。

ツアー料金を振り込んだ時、足慣らしに奥多摩を歩こうと決めていた。それは青梅線御岳駅から御岳山、大岳山、ノコギリ山を廻り奥多摩駅に至るコースで上り下りが続き苦労した記憶があったからだ。でも億劫になり行かずじまいだった。登山靴もしっかりした物を買おうと思っていた。今履いているやつは、アメリカ帰りの弟の土産で一応登山靴ではあるが、ファッション化され市街地でも履けるブランド物だ。ブカブカだったが、お気に入りで冬の外出や奥多摩の山歩きに使用していた。つまり足と靴がフィットしておらず、急降下の長丁場の砂利道で足を痛めてしまったのだ。

段差を下りる時、ストックがあれば体重の支えを分散できひざの痛みを和らげてくれるのに…

それを思うと後悔よりも腹立たしさが先立つ。

私は渓流釣りで使い慣れたストックを持っていたからだ。折りたたみ式でリュックに収まり、谷を下りる時や川を渡渉する時に使う。出発前、寒さ対策の衣類や着替え、温泉グッズなどでリュックが膨らみ置いてきてしまった。

50代半ばのオジサンが思いつきで登れる山ではないと分かっていたし、だから単独登山も諦めていた。長女が同行することになり、娘を先導する責任が支えになるはずだと自信を深めていたし、登山ガイドが付き添い、山小屋で休養する時間をかけた日程に安心もしていた。

(それなのに、この体たらくは何だ!)

私は吸いかけのタバコをやおらもみ消してしまった。

「バカヤロウ!」

自分の勘違いを罵倒した感情が大きな叫びとなってほとばしった。そしてハッとした。前を通り過ぎていた数人の下山者が振り向いた。彼らのいぶかしそうな目線に私は頭を下げるようにうつむいた。

羞恥心だけでなく情けなさと惨めさが湧いてきた。自責の念にさいなまれながら、なおかつ自分の体力と痛めた足だけを頼りに下り続けなければならない危機的状況の中でも後悔が渦を巻いていた。

(自分という人間性のサガは死ぬまで治らないのか、何で馬に乗らなかったんだ!)

私はクシャクシャのパッケージの中から残り少ないタバコを1本取り出し火を付けた。大きく吸い込みゆっくりと煙を吐いた。遥かなる下界の向こう、もやにかすんで見えない空と陸の境を探し求めていた。

「君はバランス感覚が優れているから大丈夫だよ」

窮地に追い込まれ苦悶した時にさりげなくささやいてくれた恩師の言葉を思いだす。

「勘違いが慢心を生むんじゃないかな」

これも恩師の教えだった。

そう、私は慢心していた。富士山に厳かな気持ちで臨むことなく何とかなるだろうという根拠のない楽観に浸っていたのだ。

思い起こせば朝ビールから始まり、登山時、休憩の度に隊列から離れ喫煙して2度も出発を遅らせたことや、登山路にロープ外に出て喫煙しガイドから大声で叱責されたこと、それを根に持ったわけではないがガイドにカッとなり夕食の場をシラけさせてしまったことや仮眠時に何度も外へ出てみんなの睡眠を邪魔したことなど同行者たちが眉をひそめる行為を私は行っていたのだ。

自分勝手で傲慢な態度をマイペースだと勘違いしていた自分を遠ざけ、そっけない返事でしか接しようとしなかった娘の態度も当然である。

自己責任だからとカッコいい理屈で馬に乗らず頑張ったものの、再び心が折れそうになったが、その所在と因果関係を発見できたことが気持ちを相当楽にさせてくれた。

まだ時間はタップリある。焦る必要はない。痛みをあやしながら休み休み下山できることを思えば絶望的な状況でもないことに心の余裕を感じた。それこそが勘違いではない根拠のある自信として私を励ましてくれた。 

私は(勘違い、慢心)をリズムよく心の中で連呼しながら下山した。

七合目が見えてきた。馬が3頭待機していて1万5千円の札が掛かっている。私はルーティンになってしまった区切りの一服をしようと喫煙できそうな場所を探したが思い直した。足はひざ下全体がビリビリとしびれるような感覚に覆われていて休んで治まるような状態ではなかった。先の下山道は広がりを見せていて斜面の所々のくぼ地に草が生え、なだらかな樹林帯に向かっている。

段差が少なそうで踏み下った時の激痛を味わう回数も減る。タバコも残り少ないので距離をもっと稼いで一服しようと思ったからである。

5 COMMENTS

인류학자

富士山で 비판과 자기비판とは 民族教育の成せる技なのでしょうか。

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“富士山”も面白いけれど、인류학자さんの何気ない突っ込みも面白い。

富士登山経験者

富士登山経験者ならわかると思いますが、富士登山は登りより下りが苦痛です。山としては面白くない山。ずーっと登り、ずーと下るだけの単調な登りと下り。富士登山の下りは後悔と苦痛の連続です。作者の下山時の誰もが思うであろう心の葛藤が良く表現されていますね~。

人生「タラレバ」

読みながら思った事。
若い頃、虫歯で歯がズキズキとしだした。まだ医者にかかるほどの痛みではない。薬も飲んだ。
しばらくしても痛みは治まらない。
それどころか益々痛みは増してゆく。
結局、歯医者に行って虫歯を抜いた記憶が蘇った。
最初から歯医者に行っておけば良かったと後悔した。
エッセイ読みながら過去の歯痛を思い出した。
人生「たられば」だらけ。

山男

富士山の8合目に「富士山衛生センター」がありますが、そこに毎年私の朝大時代の同級生の妹が勤務します。日本でも有名な国際山岳医の大城和恵さん、長野市出身です。昨年9月の「情熱大陸」で特集もやってましたよ。興味のある方は是非見てください。三浦雄一郎のエベレスト登頂にも毎回チームドクターとして参加している山女です。
https://www.mbs.jp/jounetsu/2019/09_08.shtml

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