これは歴史が好きな同級生が初めての韓国旅行に行った時の話ですが、彼は西大門独立公園内にある独立門を訪問してがっかりしたと言った。
ソウルにある独立門は、日本からの独立を意味して建てられた記念碑だと思っていたが、日本ではなく清国からの独立を記念して建てられた建造物だった。同級生は独立門に備え付けられている説明文を見て大変ショックを受けたそうだ。
いま韓国にいるほとんどの学生や知識人たちも、ソウルにある独立門は朝鮮が日本からの独立を意味して建てられた石造物だと勘違いしている人が多い。そしてその独立門の建設に多大なる貢献をした人物は何を隠そう親日派、売国奴、乙巳五賊と呼ばれる李完用である。
そんな基本的事実すら、日本や韓国で知らされていないのはなぜなのか。本書の著者は朝鮮半島で600年間続く熾烈な党派争いと、大国に囲まれた地政学的な要因に由来するものであるとしている。
なぜ朝鮮半島は揉め続けるのか。そこには600年前から続く血を血で洗う過酷な抗争があったということをこの書は歴史的に列挙している。
この書籍は、去年の6月に発行され、思想・ 歴史部門でサントリー学芸賞を受賞した書き下ろし書籍だ。政争と外患の六百年というサブタイトルがついているが、今の朝鮮半島を思うに、600年前から変わらずに争っている国が、ほかならず我が国だと思うのは私だけであろうか。
同族同士の政権闘争と熾烈な弾圧、そして半島を取り巻く大国の思惑によって、こっちに付いたりあっちに付いたりと翻弄される政権…。そしてその歴史を正面から捉えようとせず、都合が悪い歴史は教えもしないし、葬り去ってしまうわが民族。
日本の36年間の植民地統治だけを騒ぎ、植民地の前からも清国により約300年もの間、属国として辛酸を舐めてきた恥ずべき歴史は直視せず、なぜ日本の植民地になってしまったのか。韓国ドラマで描かれているような煌びやかな豊かな国だったならば、そんなことは起きなかったのではないか。
朝鮮の南北の分断という歴史を考える上で、その特異な朝鮮の政治力学を浮き彫りにし、朝鮮の隠してはならない負の歴史的事実を、本書を読んで改めて思い起こす。
本書は少し難しいので、歴史好きな人に是非読んでもらいたい。そして恥ずべき我が国の歴史もしっかりと認識したうえで、どうか今も続く同族同士の血を血で洗う争いだけはやめてもらいたいと切に願う。
へぇ~ 読んでみようかな?👀 でも、読んだら余計に凹みそうな感じがする💦
これを読んだら、争いを辞めさせる方法もひらめくのかな? ミサイルを飛ばすのやめてくれるのかな? 地政学ねぇ~👀💦 最近注目されてる学説ですよね~👀
独立門の前で大韓独立万歳を叫ぶ、文在寅大統領が滑稽ですな~。
さすがに文在寅さんは知っていたのでは?
で、難しいんだ。頭混乱するから読まない事にします。要約していつか誰か教えていただければ幸いです。
朝鮮も王朝末期には、日本と同じように勇気と情熱を持って国と民族のために命をささげた数多くの有能な実践家がいましたが、志は同じなのに、なぜ朝鮮は国を失ったのか?
韓国人や在日コリアン、日本人だけでなく、第三国である欧米人の歴史研究家などが書いた数々の歴史書を読めば読むほど、外国勢力のせいだ、日本が悪いという主張に嫌気がさしてきます。
国を失ったという原因を他国のせいにしてはならないと思う。
朝鮮王朝は党争の歴史といってもいい。
党争とは、いわば両班たちの熾烈な派閥抗争。両班が保守勢力と革新勢力に分かれ、党派の分裂を重ねながら抗争を続けました。
表面上は儒教の理念をめぐっての論争という形を取っていますが、実体は王位継承をめぐる争いだ。
こんな事を繰り返していた我が国。日清戦争が勃発して、国が非常事態になった時も、この党争が引き起こされている。
この党争が国を失う要因のひとつであったのは明らかだ。
まったくの夢想に過ぎないが、当時、王族や両班たちが、それぞれの私利私欲を捨て、国家や民族の将来のために、挙国一致でこの難局を推し進めていったとしたらどうであっただろうか。結果は同じであったかも知れないが、少し変わっていたかも知れない。
歴史の教訓を他国のせいにせず、自分自身の教訓としてとらえることができないだろうか、情けないの一言です。
《나라 없는 백성은 상가집 개만도 못하다 》悲しくも、この言葉が浮かびました。歴史を教訓に、真の、国民の為の国を、切に願います。
昔も今も、こんな争い事を繰り返しているので、国の発展がないのだと思うね。小国なんだから一つになれば少しは強くなれるのに妥協しようとも思わない。
意地を張っているのか、威勢だけは良いけど中身がない。まあ、いまさら言っても変わりはしないだろうが…。
ダメな親(国)に生まれた子ども(民)は苦労が絶えません。しかし人は生まれるまえに親を選べない。苦労が耐えきれないほどのものなら絶縁する手もあるにはあります。わが親をかえりみるに、たしかに欠点はたくさんあるけれど、それなりに見どころもあると思うから、まだ当分つきあっていこうと考えています。