1965年「韓日条約」締結を機に日本当局は民族教育差別を目的とした「外国人学校法案」を7回も国会に提出しますが活動家や同胞たちが粘り強く闘った結果、1972年には廃案になりました。これは民族教育を守る戦いで勝ち取った大きな勝利でありました。
1972年7月4日、歴史的な「7.4南北共同宣言」が発表され、同胞社会が沸き立つ中で、学生たちの祖国訪問が許可されました。
このような激動の60年代と70年代を経て、私たちの民族教育は80年代から主体性を堅持しながら日本定住を前提とした民族教育の時代へと飛躍して行きます。