都立高校であった、厳しく複雑な状況でも東京朝鮮高校サッカー部は、1954年度全国高等学校サッカー選手権大会で、初参加ながら全国3位と大活躍しました。
1954年度全国高等学校サッカー選手権大会では、東京代表として出場しました。
1955年3月「都立制度」は廃止されます。学校の経営が、私立移管の自主的運営に変わり、やっと民族教育における主体性を取り戻すことができました。
東京都に提出した「学校設置趣意書」には「本校は終戦直後、東京都内在留朝鮮同胞たちがその子弟たちに民族的素養を身に着けさせようとの熱望により自主的に設置され、1948年東京朝鮮中高等学校として私立学校の認可を受けた。だが1949年10月改組通告により学校の存続が不可能になり、1949年12月東京都立朝鮮人中高等学校として発足した。しかし1955年3月に都立を廃止するとの東京都教育委員会の通告により、朝鮮人子弟の教育に重大な支障をきたされたので、子弟教育の円満な発展のため、学校法人東京朝鮮学園を設立し、この法人の運営により、この学校を東京朝鮮中高級学校として、各種学校の設置認可申請を行う」と記載しました。
「学校法人東京朝鮮学園」の認可を受け、都内の朝鮮学校は朝鮮学園を運営母体とする各種学校として再出発します。