老人は強欲だというイメージを持っているのは私だけだろうか?子供の頃「欲張りじいさん」の昔話で植え付けられたのかもしれないが、例えば「守銭奴」と言うと、老人のイメージがある。私が抱く「守銭奴」のイメージは、深夜の薄暗い部屋で一人、金を数えて満足の笑みを漏らす老人を考える。漏れてくる笑いは「ワッハッハ」ではなく、「イヒヒ」だ。若者が絶対に立てない笑い声だ。
でも近ごろ、年老いた私のアボジ・オモニを見て思う事がある。このイメージは誤りである。強欲どころか老人は無欲になっていくのだ。若い頃は夢を抱くが、年を取ってくると夢も持たなくなる。
老人は体調が悪くても、若い頃と違って完璧な健康は望まなくなる。探せば、多分がんの一つや二つ、動脈瘤の2つや3つぐらいできていて、日々悪化しているであろうが、なんとかあと少し持ちこたえてくれればいいと思っている。
指が何本もヘバーデン結節で痛くて、箸も持ちづらそうだ。指がかなり曲がっているから、狙ったおかずを正確に口に運ぶことが出来なくなってきている。それでも、時間をかけて食べればいいと思っている。
また明晰な頭脳も必要なくなってくる。計算力は小学校3年生程度でいい。たとえ計算ができなくても、日常生活を送ることができれば十分だ。
身体能力も最低限でいい。100mを何秒で走れるとか、腕立て伏せを何回できるとか、そんなことはもうどうでもいいのだ。自力で歩ければ御の字。歩行補助器が必要になっても移動できればいい。車椅子が必要になっても寝たきりにならなければいい。寝たきりになっても寝る場所があればいいと思うようになってきている。
もちろん、異性にモテようとは夢にも思ってないだろう。嫌がられなければ十分だ。オモニにも優しさを求めない。叱られたり、床に落としたものや、消費期限切れのものを食べさせられてもいい。殺されなければいいのだ。
金も死ぬほどあればいいが、いくら持っているのかは不明だ。死ぬまでの生活費がわからない上に病気になったら治療費が必要だが、治療費が払えないために死ぬ事態を避けるには、いくらお金が必要なのかもわからなくなってきている。
結局、金の切れ目が命の切れ目になるのか。でもアボジ・オモニはそういうことすら考えないから、問題ないと思う。
先日ニュースで、海外旅行中に親しかった人が、翌日に死んでいたと報道していた。それを見ていたアボジ・オモニが、口を揃えて「うらやましい!」と言った。もう生きることにも執着しなくなっているのだ。
この頃のアボジ・オモニを見ると、驚くほど無欲である。すでに超欲の仙人になっているのかもしれないと思うこの頃だ。
すごいですね~ まさに「悟り」を開いちゃったんですね~💕
やさしく接してあげてください~👏
私も、あと何年かすれば、そのように穏やかな過ごし方が出来るのかな?
たぶん、私の場合はムリかな?💦 女性を見れば、胸と尻に👀が行っちゃうし~ 美味しいものを見れば👄よだれは出るし~💦 お金はしっかり握りしめちゃうし~💦
こりゃ~ ムリだわぁ~😢
アボジが亡くなった歳を私は越えました。こんなに若い内に亡くなり、アボジは無念だっただろうなと今は思います。
ご両親が健在で何よりですね。
どうぞ大切になさって下さい。
ひとの晩年は千差万別です。아버지は癌を患い70代で亡くなりました。きょうだいで相談のうえ告知に耐えられる性格ではないだろうとの結論にいたりました。意識がなくなるまで快癒を信じていたはずです。「子どもに迷惑かけたくないから早く死ななければ」が口癖だった어머니が、ことばとは裏腹に長寿を望んでいることは承知していました。96歳のいまも健在で、目に見えないだれかと一日中交信をつづけ、笑い怒り泣きながら、それなりに忙しくすごしています。