梅雨明けから本格的な夏へ

「呉慶錫の印が押された古城格子の拓本」と「城石片」

全鎣弼が、生涯の師と仰ぐ呉世昌(1864-1953)と出会うのは1930年、ヒョンピル24歳の時であった。呉世昌の父である呉慶錫(1831-1879)は代々訳官を務めた家系で、そのような家庭環境下で呉世昌は「漢城周報」の記者や、東京外国語学校の朝鮮語科の講師を務めた。呉世昌は1902年「開化党事件」に参加・失敗したが、3・1運動では民族代表の33人中の1人にも選ばれた。

呉世昌は、書画骨董を収集していた父の影響もあり、多くの所蔵品を受け継ぎ、1928年に古書画の作品集「槿域書画微」を出版、当時は最高の鑑識眼をもっていると評価された人物だ。

下の掛軸は全鎣弼がまだ学生だった頃、呉世昌と最初に出会ったときに持参した拓本で、呉世昌の父、呉慶錫の印章が押された掛軸一幅である。

拓本は高句麗の時代、平壌城築城の時の建築過程の一部を記録した、城石片の文字を拓本したもので、高句麗がいつ平壌城に遷都したのかがわかる年度が刻まれている。

呉世昌は大変驚き、舎廊の奥から小さな木箱を持ってきて、その中から二つの割れた石を取り出して鎣弼の前に置いたのだ。

その石は、呉世昌が政局の騒動を避け日本に渡っていた時、残された家族が引っ越しの最中に落として割れてしまった城石の石だったのだ。その欠片はまさしく全鎣弼が持ってきた掛軸とピッタリ一致。拓本は父・呉慶錫が交遊のあった中国の金石学者に贈ったものだった。

この城石片は現在、宝物第642号に指定されている。

1 COMMENT

なんでも鑑定団

貴重な資料ですね。こういう城石もお宝になるんですね。
日本にも城石に字や家紋が描かれてますが、あれはどこの藩が持ってきたのか分かるように細工してると聞きました。

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