日中戦争の勃発後、日本は国家総動員法、国民徴用令等を公布し総動員体制を確立する。「内地」の基幹産業を中心に、朝鮮の青壮年男子を多数動員し、過酷な労働を強要した。いわゆる朝鮮人強制連行である。
1939年秋に始まる労働動員は、「会社の個別募集」であったが、太平洋戦争勃発後には「官斡旋」に強化された。戦争末期になって有無を言わせぬ「徴用」とされたものの、当初から一貫して日本政府が関与していた。
「労務動員計画」(39〜41年度)、国民動員計画」(42〜45年度)で、延べ72万人以上が朝鮮から日本国内・南樺太・南洋群島に連行された。その内ほぼ半数は炭鉱に、残りは鉱山・土木建築・工場・港湾荷役・農場へと送り込まれた。
炭鉱の労働は危険できつく食事も満足なものではなかったので、寮から逃走する者が続出した。会社はこれを防ぐ意味からも賃金の大半を預貯金や送金にして現金を手渡さず、「タコ部屋」送りするなど、厳しい労務管理を行った。
解放後、常磐炭田や北炭夕張では、GHQや日本政府相手に朝鮮人が争議を起こしたが、GHQはこれを弾圧した。
未払い賃金は本人への通知もなしに供託され、その後没収された。そのほか、遺骨の放置、サハリンの離散家族など、未解決の問題が残されている。
ほんとにひどいことしますよね~😞
この多くの若者が、朝鮮半島で活躍していれば、もっと早くから立派な国づくりができたはずなのに~😢
戦後補償はどこまで? 記録が残っているはずですよね~
しっかり保証して欲しいですね👏