日本は、1945年8月15日に天皇がボツダム室言の受諾(8月14日)を内外に開らかにし(玉音放送)、朝鮮人は祖国の光復・解放を迎えた。
解放直後の在日同胞は雪崩をうって帰国した。息苦しい日本から一刻も早く去りたかったからである。
当時の日本政府は中国や朝鮮から日本人が引揚げる船の片道を利用する方策をとっただけで輸送計画はなかった、
博多と仙崎などが出港地となったが、船待ちのため埠頭付近は野宿する人で埋まった。糞尿が街路にあふれ病気になる人が続出した。所持金は一人1000円、荷物は150ポンドと制限された。
しかし、生きて放郷の地を踏むことができた人々ばかりではなかった。苛酷な戦時労働の中で、解放の日に立ち会えないまま亡くなった人も大勢いた。
あるいは舞鶴湾で謎の爆沈をとげた浮島丸の乗客のように帰国を目前にしながら結局それを果たせなかった人も少なくなかった。
一方、朝鮮では政治・経済・社会の混乱が続き、帰国者を受け入れるだけの態勢は十分とはいえなかった。天文学的インフレで生活の道がたたず、再び日本へ渡航する朝鮮人が相次いだのはそのためでもあった。
祖国の解放は、帰国・残留を問わず、多くの朝鮮人にとって、差別と貧困をはじめとした新たなる苦難の第一歩でもあった。
大変な時代ですね~💦
それでも、タッペギは作って飲むし~ 長~いキセルでタバコは吸うし~😊
ちょうどこの時期に、「一家の長」を任されたいたアボジたちは、責任重大ですよね~😆
どの一族にも歴史があるけど、私の一族もハラボジやアボジの判断の上で、今日本にいるんですもんね~😊
人生の選択って、難しいですよね~😢 墓参りして、聞いてこよっと~👂