私のオモニは15年前他界しました。72歳でした。42歳で夫を亡くし5人の子供を育てました。その時、弟はまだ小学生でした。アボジは心筋梗塞、当時で言うポックリ病でした。
その日。ハッキョにいた私と弟は、先生から早く帰るよう理由も告げられず、即されるように家に帰りました。アボジは一階の客間で白い布を被り冷たくなってました。
「昨日は家族みんなで食卓を囲んで、”サザエさん”を観ながらアボジは晩酌、私達は夕食と、いつもと変わらない日常だったのに…。」
・・・
アボジはタバコが好きだった。私はアボジが吸うタバコの火付け係だった。アボジがハイライトを1本取りだした時、いつものように私はおもむろにタバコに火をつけた。アボジは私の顔を見て、少し時間をおいて「〇〇、アボジと未来の旦那さんにしか、してはいけないよ。」と細い目をもっと細くして笑っていた。
アボジが亡くなってしばらく経ったある日、オモニが「まったく、私達をおいて さっさと行っちまって💦」と、不機嫌そうにつぶやいた。
私は死んじゃったアボジが一番可哀想なのに「そんな事いうかなーー」っと、オモニの声を疑った。でもあの時私は子供だったんだ。自分の事、自分の悲しみしか考えられなかった。テレビでは相変わらずサザエさんが楽しく笑い、当時大人気だったジュリー(沢田研二)に、世の女の子達はキャーキャー。私はそのギャップに違和感を覚え、日に日に悲しみが増しました。
“時の過ぎゆくままにこの身を任せ♪♪♪”そのフレーズ通り時は流れ、オモニもアボジの元に旅立ちました…。
オモニ…私はあえてあなたを彼女と呼ぶ。彼女は死んだらアボジに会えると本気で思っていた。早くアボジに会いたいと、ずーっと思い、そしてその日を迎えた。本当に信じがたいが本当なのだ。
「私が死んだら火葬場から直ぐお墓に入れてね、アボジが待っているから。49日なんていらないよ。きっとあの人の事だから、また浮気してるよ。早く行って 懲らしめてやらなきゃ」と言っていた。
今頃、仲良くやっているかな〜。私も二人に会いたいな〜🤗
立派なオモニですね。30年間も女手一人で子供を育て上げた~!拍手喝采です。まだ健在の95歳の私のオモニとダブってしまい、考え深いです。私のオモニも61歳の頃アボジが他界して、女手一人で6人の兄弟を立派(?)に育ててくれました。あと何年孝行できるか分かりませんが、よしっ~ まだまだ頑張ろうと思いました。ありがとう💕
今は亡きアボジのお姿から投稿者さんの오빠がわかったような~。
間違いだったらごめんなさい。
いい、オッパ、オンに、弟たちに恵まれて幸せ者ですよ。
とっても素敵なご夫婦の写真ですね♥️
オモニはアボジのことが大好きだったんですね。
一緒に過ごした時間が少なく、苦労も沢山あったと思いますが、大好きな人と巡り会えて幸せだったでしょうね。
私はお見合いで結婚して、あまり熱い思いはしていません。
仕事が一番の人で、定年後再雇用で、5年の単身赴任を経て年内で退職します。
私の人生の第3章の始まり。今は不安と期待が入りまじっていますが、二人で楽しい人生に仕上げたいと思っています。
投稿者さんのオモニンが頑張れたのは、他でもない5人の子ども達への愛情だったのだろうな~と思いました。
「アボジと未来の旦那さんにしかしてはいけないよ」カッコいい❗
人生いろいろさんの
「二人で楽しい人生に仕上げたい」
なんて素敵な考え💕
私は、熱い思いを経て結婚したけど、笑
どうにか顔を合わさずに人生を全うできないか、そんな思いの今日この頃です。
罰当たりですね💔🤣
若い頃にオモニとの喧嘩のあと、他界したオモニが必ず言ってた言葉「お前も家庭をもって、子供をもったらオモニの気持ちが分かるよ!!」。あの言葉がこの歳になってようやく分かりました。オモニ、あなたは偉かった!!
この投稿を読んで、そんなことを思いました。ありがとう。
写真を一見し投稿を一読して,亡くなった父上は家族に愛された幸せな方だったのだと思いました.父親をめぐって,娘は母親と張りあったのだろうとも感じました.