私たちにとって8月15日は祖国が解放された日。 日本にとっては戦争が終わった日ですが、沖縄にとっての終戦は6月23日だ。
1945年、沖縄に上陸してきた米軍との戦闘で、今の糸満市に追い詰められた日本軍の牛島満司令官が、6月22日に自決し、翌23日に組織的な戦闘が終結したからだ。 毎年この日は沖縄にとって「 慰霊の日」であり、それから78年目の日が、またやって来る。
慰霊の日には、沖縄県主催で毎年式典が開かれる。 式典が開かれるのは摩文仁の丘。ここには沖縄戦などで亡くなった兵士や、住民20万人を超える人たちの名前が刻まれた碑がある。
この碑は「平和の礎」と呼ばれている。碑に刻まれている名前は日本人ばかりではない。 台湾や朝鮮半島出身者の名前もある。 さらに特徴的なのは、戦死した米軍兵士の名前も刻まれていることだ。 立場に関わらず全ての人を追悼するという、沖縄らしい優しさの表れなのか。米国ワシントンにあるベトナム戦争戦没者慰霊碑に刻まれているのが、米軍兵士だけに限られているというのとは対照的だ。
この丘に来ると、おびただしい名前の列に圧倒される。そしてここは、日本の学生らが修学旅行で必ず立ち寄る場所でもある。 先日、テレビを観ながら、終戦記念日が8月15日ということを知らない学生には驚いた。平和学習の大切さや、沖縄に行く前の事前学習が、本当に大切なのだと思う。
そんな偉そうなことを言う資格は私にはないが、先週テレビを観て、知らなかったことを新たに発見する。それは今も沖縄戦で亡くなった戦没者の遺骨を、ボランティアで収集している人たちがいることだった。私は沖縄戦の戦没者の遺骨は、全て収集済みだと思っていた。しかしそうではなかった。
まだ沖縄では、各地に遺骨が散乱したままになっている。今でも道路整備や農地の開墾のために見つかる遺骨が収集され、国立沖縄戦没者墓苑に収められているそうだ。
ところが、森林や崖など人の手が入っていない場所に関しては、調査がされていないというのだ。その様子は YouTube などでも見ることができるが、海岸の沖合から艦砲射撃で砲弾を打ち込んだり、上陸した米兵が、至近距離から迫撃砲で攻撃したりしたので、砲弾の直撃を受けて亡くなった人が、大勢いたのだ。
具志堅さんは、当時の状況について生存者に話を聞き、米軍の追っ手から逃げようとした人たちの場所を見つけます。 表面の腐葉土を取り除いていくと、細かく砕かれた骨片が次々に見つかる。でもこの骨片は、わずか数センチほどしかないのだ。 なぜ細かく砕かれているのか、それは米軍の迫撃砲の直撃を受け、体がバラバラになったからだというのが具志堅さんの考えだ。事実その周辺では、迫撃砲弾の破片とみられる金属の塊も見つかっている。
それにしてもあれから78年、日本を守るために全国各地から沖縄に送り込まれた若き兵士たち。住んでいた場所が突然戦場になったために命を落とした人々を思うと心を痛めずにはおれない。
そして、78年目の8月15日がまたやってくる。私たちにとっては8月15日は祖国朝鮮の解放記念日なのか? 不謹慎ながら“南北分断の日”ではないかと思ってしまう自分がいる。
やだ、やだ~ もうその悲惨さと言ったらありゃしないね~💦
この当時に生きていたら、いやがうえにも戦争に巻きもまれていたもんね👀
遺族はいたたまれないよね😢 必死になって遺骨を探そうとする気持ちが、痛々しく🤦♂️
まだ、たったの78年前と言う事実が信じられない~