관서팔경(関西八景)は、朝鮮の昔の関西地方(朝鮮八道のうちの平安道)の景勝地のうち8ヶ所(八景)を選び、それらを総称したものだ。
練光亭は、ピョンヤン市中区域にある李朝時代の建築物だ。大同門近くに位置し、大同江に面した断崖の上に建てられている。関西八景の一つに数えられ、古くから景勝地として知られている。
大同江を望むこの地に、最初に亭閣が建てられたのは、高麗時代の1111年で、当時は山水亭と名づけられた。幾度かの再建を経ており、現存するものは1670年に建てられたものである。
高麗の高名な詩人・金黄元が、ここから望む風景の美しさを詠おうとして終日、詩を練ったものの、納得のいく作品を完成させることができず、ついに泣きながら去ったという逸話が残されている。壬辰倭乱の折には、練光亭で小西行長と沈惟敬が会談をした。
1609年、使臣として訪れた明の書画家・朱之蕃が練光亭からの景観に感銘し、「天下第一江山」と揮毫した懸板を練光亭に掲げた。
降仙楼は平安南道成川にある成川客舎の楼亭である。楼亭周辺の景色がとても美しくて関西八景の一つとして知られている。この楼亭は、成川客舎に泊まる外国使臣向けの宴会場として利用された。
成川客舎は高麗時代(918年~1392年)の1343年に建てられ、その後は侵略者との戦争のため数回も焼き尽くされては建てなおされた。
降仙楼はその配置形式が独特で、敷地の高低に伴う変化、建築空間的変化がよくマッチし、前方が開けられていて水清い沸流江とよく調和し、川向こうの美しい12峰を一目で見渡すことができる。
しかし、朝鮮戦争時に爆撃により焼失。今はその址しか残っていない。
百祥樓は、平安北道安州市にある高麗時代の建築物だ。関西八景の一つで国宝31号に指定されている。
高麗時代に建てられた百祥楼は、朝鮮時代の1753年、その全貌が完成したが、修復を繰り返し「関西第一楼」という美しい名前で語られるようになる。
ここから眺める景観は、美しい360度の景色を一目で望めるという意味でつけられた名前だそうだ。
寧辺の薬山東台は高さ429mほどのところにあり、薬草が多く採取される地域としてこの名前がつけられた。
薬山東台からは九龍江を眺められ、寧辺の全域が見渡せる景観がよい場所としても知られている。
平安北道東林郡にあるこの滝は、高麗時代、東林山城があった城の南麓の谷深くにある。別名「翡翠の滝」とも呼ばれる。奇岩絶壁から流れ落ちる透き通った水は、隣接する農地の灌漑に利用されている。
滝の上流域には「龍岩」や「平峰岩」などの奇岩があり、下流域には「龍潭」の自然貯水池があり、周囲の断崖や松林が混ざり合っている。
美しい景色は、関西八景の一つに選ばれている。
鴨緑江を見渡せる三角山の頂上に建つ統軍亭は、昔から防衛の拠点であった北側の将台として、主に軍事指揮処として使われた。
統軍亭から義州城の城壁が目の前に広がり、下方には鴨緑江の川の流れや、点々と浮かぶ中州が見下ろせる。
西側は遠くに新義州・龍巖浦一帯が見渡せ、南には義州金剛と呼ばれる石崇山や白馬山一帯の山頂が見渡せる絶景地として有名だ。
仁風樓は江界にある楼亭である。
1472年に建てられた楼亭は、1680年に修復され現在に至る。
將子江の絶壁の上に建てられた仁風楼は、その景観のすばらしさから「関西八景」に数えられた。
本来は江界邑城の付属建物として戦時に軍事訓練をした場所である。
洗剣亭は満浦の楼亭で「関西八景」の一つである。
下の写真は、満浦鎮から鴨緑江を下る筏の写真だ。左には焼失前の洗剣亭が写っている。
1636年、清がウリナラに侵入してきた時、朴南輿将軍が指揮した軍隊が、ここで敵を迎えて戦って勝利したことを記念するために建てた建物で、下に流れる鴨緑江で剣を洗った所から「洗剣亭」という名がついた。1938年に焼失し、今はその址だけが残っている。
洗剣亭址から70m北側の地点には望美亭がある。2010年にウリナラは、洗剣亭を復元する計画だと発表している。
こう見ると、朝鮮戦争時に跡形もなくなってしまった、貴重な文化財が、何カ所かあることに気が付く。寧辺地域も名勝地より、近年は核開発疑惑で有名になってるのを思うと、少しやりきれなくなってしまう気持ちになるのは私だけか…。
今日も、じっくり見ちゃったら~ お腹いっぱい😆
綺麗な名勝地がいっぱい~
懐かしい歌もいっぱい~
行ってみたいなぁぁぁ~