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【歴史】舞鶴湾で起きた謎多き大事件【前編】

朝鮮人の送還を急いだ軍参謀

日本の敗戦時に、日本国内にいた朝鮮人は約210万人。その中で青森県にいた人たちが、急いで帰国しなければならない状況に置かれていたわけではない。にもかかわらず「大湊海軍警備府」は「海軍省運輸本部」の許可を得て、8月18日には浮島丸による朝鮮人の送還を決めた。大湊だけが、朝鮮人を送り返すのを急いだのだ。

NHKは1977年8月13日、浮島丸事件を追ったドキュメンタリー番組『爆沈』を放送した。その中で浮島丸の野沢忠雄機関長は、鳥海金吾艦長が主要な乗組員に話した内容を語っている。

「暴動を起こすという、朝鮮人が。いろんな待遇改善とか、いままでどうしてワシたちをこき使ったかと。そういうことを起こすから、早いとこ、もう戦争もすんだんだから朝鮮へ送り返せ、と」

「第2復員局残務処理部」の用箋にタイプ打ちされた「輸送艦浮島丸に関する資料」(1953年12月)という日本政府の文書には、次のように記されている。

「終戦直後大湊地区に在った旧海軍軍属朝鮮人工員多数は連合軍の進駐を極度に恐れたためか帰鮮の熱望を訴えて不穏の兆しを示した」

だが「連合軍の進駐を極度に恐れた」のは、朝鮮人ではなく海軍の方だったのではないか。「大湊警備府」が防衛していた樺太では、15日以降もソ連軍と交戦状態だった。それは22日の「日ソ停戦協定」成立まで続いた。

金東連(キム・ドンリョン)さん(1921年生まれ)は17日に、労働者の貸金を受け取りに菅原組へ行った。その帰りに飛行機から撒かれたビラをひろった。「陸軍は降伏したが海軍は降伏しない。ここは戦場になるから住民はみんな疎開しろ!」と書かれていた。軍内部も混乱していたのである。

こうした状況の中で、朝鮮人が集団で決起することを「大湊海軍警備府」が恐れたとしても不思議ではない。そこで、朝鮮人たちを一刻も早く追い返すために、浮島丸の出航を急いだのだろう。

「大湊海軍施設部」に徴用されていた労働者たちと、軍から土木工事を請け負った組に雇われていた労働者たちとその家族が大湊港に集まって来た。

朴載夏さんは、「三沢飛行場で働いていた朝鮮人たちは、20日朝に行き先を知らされないまま出発命令を受けたんです。その日のうちに、大湊港へ着きました」という。自らの意思で帰国を決めたのではなく、浮島丸に乗船するという選択肢しかなかった人たちもいるのだ。

家族で暮らしていた張永道(チャン・ヨンド)さん(1933年生まれ)は、「港に来る大きな船に乗れば帰国できる。それは帰国するための最後の船で、日本に残っても配給の米はもらえないそうだ」と父親から聞かされた。張さんが大湊桟橋に行くと朝鮮人たちがひしめき合い、日本刀を待った兵隊がそれを整理していた。

浮島丸は21日の出航予定だったが1日延びた。金東連さんは、「たくさんの人が乗ったので便所が足りず、船の後方に仮設便所を造るのに時問がかかったため」という。だが、遅れた理由は他にあった。朝鮮人乗客たちの知らない所で、深刻な事態が起きていたのである。

釜山行きに反発する日本人乗組員

「海軍特設輸送艦・浮島丸」の乗組員たちは津軽海峡で、敗戦を告げる天皇の「玉音放送」を聞いた。この時の乗組員は士官14人・下士官38人・水兵203人の、合わせて255人。軍人である乗組員たちは、上陸すれば召集解除になると信じて荷物の整理を始めていた。大湊港へ戻ったのは18日。

ところがその翌日、浮島丸に釜山への出航命令が下ったのだ。当然のことながら鳥海金吾艦長をはじめとした将兵は反発。釜山港へ入港したら捕虜として捕らえられるかもしれない、と考えたのは自然だ。

『京都新開』が1985年7月に連載した「40年目の海 浮島丸爆沈」という記事の中に、乗組員だった長谷川是(なをし)さんの話がある。

「大湊(海軍)警備府の参謀が、乗組員の説得のために船に乗り込んできた。総員集合がかかり、好きなことを言えというんです。私は『陛下の御心はこれ以上国民を殺すことを望んでおられない。機雷を掃海していない日本海を航行すればやられる。御心に反する』と言いましたよ。参謀は日本刀を抜きはなった。『文句があるやつは前へ出ろ』。だれ一人として前に出るものはなかった」

乗組員たちは、釜山行きに単に反発するだけではなく行動に移した。野月美則さんは、海軍司法警察官として「大湊警備府軍法会議」に所属する上等兵曹だった。その体験が、『朝日新聞』(1993年8月25日)に掲載されている。

「野月さんによると、22日夕方、法務官(現在の検事に当たる)が『乗組員が「朝鮮に行くと、捕虜になって殺される」と船内で暴動を起こした。すぐに向かう』と、野月さんらに指示。午後7時ごろ、法務官と同僚警察官とともに浮島丸に入った。(略)船長室では、暴動の首謀者の上等兵曹が長いすに裸で寝ていた。野月さんと同僚が飛びついて手錠をかけた」

釜山港へ行きたくないため、何と反乱まで起こしていた乗組員たちがいたのだ。海軍刑法の反乱罪では「首魁(首謀者)、死刑」とされている。野月さんのリアルな話は続く。

「当時は戦時刑事特別法により軍法会議で即決裁判することができた。法務官はその場で『上官の命令に反した罪により、死刑に処す』と言い渡した。この脅しに、上等兵曹は『朝鮮行きを私にやらせてください』と嘆願、法務官は刑の猶予を申し渡した」

野月さんは、「出港のためには、どんな手段でも使えという命令が出ていたようだ」と語る。大湊警備府は仲間の将兵を脅してでも、朝鮮人を一刻も早く青森から退去させようとしたのだ。

こうして、浮島丸は出港することになった。ところが乗組員の中で、何としてでも船を釜山港へ行かせないための計画が立てられていたという。

「士官たちも朝鮮への航海は反対しておりましたからね。航海長と話し合って、エンジンや舵などの船の重要な部分を壊し、航海できない状態にしようと相談しました」(『浮島丸釜山港へ向かわず』金賛汀)

このように、機関長で少佐だった野沢忠雄さんは語っている。また上等兵曹だった神定雄さんも、浮島丸破壊計画が乗組員たちの中にあったことを具体的に語っている。

「神定雄上等兵曹:津軽海峡で機械をこわしてしまおうではないかー。船が動かなくなるんだから・・・。このことは士官はだれもわからない。

NHK記者:機関部をこわすことは簡単なんですか。

神定雄上等兵曹:・・・何時間か交代でいつも機械室に入っているからみんなわかっている」(NHK『爆沈』)

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1 COMMENT

尊い命👏

へぇ~ こんな事件もあったんですね~ しらなんだぁ~😢勉強不足だな~
しかし、真相解明して欲しいね~ 
そんな簡単に爆発したり、沈没するわけ無いもんね~💦
誰かが、何かを、隠している~👀 名探偵コロンボにでも依頼すっぺ👏

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