「環境調査船」に偽装したスパイ船
朝鮮労働党機関紙『労働新聞』(1月21日付)は、「55年前の米帝武装スパイ船『プエブロ号』拿捕事件を顧みて」と題する記事を掲載した。「プエブロ号」とは、1968年1月23日に北朝鮮によって拿捕された米国海軍の武装情報収集艦のことだ。
筆者はこの艦船を、ピョンヤン市内で何度も取材している。高層ビルが目立つようになってきた北朝鮮の首都の川に、米国の軍艦が浮かんでいる……。軍人だけでなく職場や学校などから集団でやって来たさまざまな年代の人たちが、見学している光景がいつもある。
プエブロ号が拿捕されたことに対して米国は、大兵力を朝鮮半島へ集結。第2の朝鮮戦争に発展する可能性があるほどの、軍事的緊張状態に置かれた。またその時、米国は核兵器の使用を検討していたことも明らかになっている。
『労働新聞』の記事では、「朝鮮は今では核強国となっており、米朝が対決戦をしたならば、敗北は米国の宿命だ」とする。そしてこの長文の記事には、長らく謎とされてきたプエブロ号船体の移動についても、その答えを明記している。
世界を震撼させた「プエブロ号事件」とは、何であったのか? 米朝の深刻な軍事的対決が続いている現在、この大事件を改めて振り返る意義は大きいだろう。
プエブロ号の「極秘任務」
当時の米国の情報収集は、まだ偵察衛星の開発初期だったために対象国の近くまで行って無線やレーダーを傍受していた。1968年1月5日に横須賀港を出港したプエブロ号は、北上してソ連のカムチャッカ半島と沿海州へ。9日に佐世保港へ入り、11日午前6時に出港して北朝鮮へ向かう。
米国人の軍事ジャーナリストであるトレバー・アンブリスター氏はプエブロ号事件について、この船の乗組員など関係者300人以上にインタビューしている。
「プエブロ号の最大の任務は、北朝鮮の沿岸警備について、アメリカの基礎データをアップ・デートすることであった。どこにレーダー・ステーションが位置しているか? その用途は通常の航海または飛行用か早期対空警戒用か、あるいは射撃指揮用か? どんな周波数を使っているか?(中略)第2の任務は、北朝鮮の暗号通信を傍受し、記録することであった」(『情報収集艦プエブロ号―日本海のミステリー』トレバー・アンブリスター)
こうしたデータを、北朝鮮の主要な軍港の沖合で精密に測定しようとしたのだ。
プエブロ号は北朝鮮の領海12カイリのすぐ外側を航行し、16日には清津港の沖合へ。ここでブッチャー艦長は、プエブロ号が北朝鮮のレーダーに捕捉されたことを知ったという。だがそのまま城津(ソンジン、現在の金策)港、そして元山港の沖合へと移動を続ける。
「米国議会の調査報告書によると、プエブロ号の任務には『北朝鮮近辺で公然と活動し、ソ連海軍に対する活発な監視活動を行う情報収集艦に、北朝鮮とソ連がそれぞれどう反応するのかを確認する』ということが含まれていた。そのため、プエブロ号の航跡は挑発的であり、これが北朝鮮を刺激した可能性がある」(『ハンギョレ』2021年9月28日)
プエブロ号は諜報活動だけでなく、米軍の挑発行動への北朝鮮の軍事的対応を調べようという極めて危険な任務もしていたのではないかというのだ。米国海軍の艦船が、北朝鮮の領海ギリギリを北から南まで移動したのである。しかもプエブロ号の前にも、同じ動きをした米艦船があった。
「(NSAの)第1号艦のバナー号は1965年10月17日に日本に到着し、プエブロ号が1967年12月に日本に到着するまでに、15回の情報収集活動を行っていた。主として、ソ連と共産中国の情報収集であったが、3回は北朝鮮に対してであった。1967年2月にはバナー号は元山から20マイルに接近して情報収集をした際に、北朝鮮のパトロール艇が200メートルまで接近した」(「プエブロ号事件―米国の情報活動と危機」黒川修司)
繰り返される米国の挑発的な諜報活動を、北朝鮮は見逃さなかった。トレバー・アンブリスター氏によれば、平壌のラジオ放送は11日、「米帝国主義者の侵略軍がスパイ船を送って偵察を行なう限り、わが海軍艦艇は引き続き断固たる対策を取るであろう」と放送したという。これは、きわどい諜報活動をする米国に対する警告だった。
続く
講談社WEBメディア『現代ビジネス』(2023年1月27日)から
あったね~こんな事件👀
うっすらと記憶にあるけど、こんな内容の事件だったんですね😊
しかし、当時の状況からして、良く見つけられたし、拿捕できたよね~
人民軍はむかしから強かったんだね~😊
学生の頃良く聞いた「プエブロ号事件」…
アメリカ海軍の歴史で他国に拿捕されたのは初めての屈辱で、記事にもあったけど大規模な軍事的圧力をかけて返還させようとしたけど、ウリナラは戦利品としてガンとして変換しなかった…
でも、この事件がきっかけでウリナラは軍事に力を入れるようになったんだよね。
いわゆる「경제건설과 국방건설의 변진로선」
経済と軍事を同時に発展させると言う事だけど、実際は軍事に60%以上の予算をかけて経済が大きく停滞したんだよ。
その時まで韓国にも経済的に勝ってたんだけど、ハンガンの奇跡と呼ばれる経済復興で韓国が発展し始めたのとは対照的に北は経済的に苦しくなって行き今に至るんだよなぁ。
この事さえなければ…と、いつも思う事件です。
プエブロ号事件、EC-121撃墜事件など緊迫した時代だったなあ。
子供心に覚えています。