「統一新羅三層石塔」と「高麗三層石塔」

朝鮮にある石塔や石燈を、日本人は高麗青磁と同じぐらい好んだが、搬出する手段は極めて難しかった。当時、朝鮮総督府は「建設物保護方取材に関する件」という文書を出し、勝手に地方の廃寺や古碑、石塔などを処分したり、移転したり、売買するのを監視した。

しかし、この通達は法律ではなかったので、朝鮮総督府が黙認すれば搬出が可能だったのだ。こうして朝鮮にある数多くの石造物は1910年以降、朝鮮から大量に搬出され、日本ばかりではなくヨーロッパでも売りさばかれた。

このようにして日本に渡った石仏は、20年後の1933年11月に競売にかけられることになる。大阪の山中商店主催の石塔の競売は熾烈を極めることになるが、「慶州・仏国寺伝来」という出土経緯がはっきりしている「統一新羅三層石塔」と「高麗三層石塔」は競売の末、全鎣弼が競り落とすこととなる。

統一新羅三層石塔 高さ220㎝ 高麗時代

統一新羅三層石塔は塔の相輪部分まで状態がよく、基壇には蓮の花文様が刻まれており、各層の比例が上るに従って、均整が取れて小さくなっており、温和で洗練された形だ。

高麗三層石塔 高さ250㎝ 高麗時代

高麗三層石塔も同じく状態がよく、基壇の第一層には、二人の人間が手を握っている姿が刻まれており、各層の屋根は新羅の石塔に比べて素朴だが、典雅な雰囲気を醸し出している。

1933年12月に仁川港に到着したこの石塔を見ながら、全鎣弼は何を思ったのであろうか。歴史の風雨の中で弄ばれて日本に持ち出されたあげく、競売にかけられた末、故郷の朝鮮の地に帰ってきた石塔を感激に満ちた気持ちで迎えたであろう。

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1 COMMENT

ヨンチャ~ヨンチャ~💦

へぇ~石塔も朝鮮由来なの? 知らなあだ~👀💦
しかし、こんな重い石塔を、どうやってヨーロッパまで運んだんだろう~?監視の目👀をくぐりぬけながら~👀
そっちの方が興味があるな~😞 やっぱし、船だろうね~🤔 でも陸地の運搬は?

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